http://m.ameba.jp/m/blogArticle.do?unm=1219raiden&articleId=12018495229&frm_src=article_articleList&themeFlg=1
前に
「[発達障害が原因で子供の頃にイジメられた当事者は、それがトラウマになって前に進む事ができない]と主張している発達障害者は、発達障害が原因で子供の頃にイジメられたけれど、それでも前に進んでいる当事者の存在を完全無視している」
という記事を書きました。
こういう記事を読んで
「イジメられていたけれど前に進んでいる発達障害者は理解者に恵まれていたんだ、私の周りには理解者なんていなかったんだ」
等と反発する当事者の方々もいるかもしれませんね。
ここから先は覚悟して読んでください
m(_ _)m
ハッキリ書きますが、理解者に恵まれている発達障害者は
「自分で理解者を作っている方々が多い」
と、俺は思うんですよ。
「私は理解者に恵まれていない、私はかわいそうだ」
等と、他の当事者が悲劇のヒロインを気取っている間に、自分自身の力で理解者を作っていったという事です。
またまたアドラー心理学を例に出しますが
「他者の人生を必要以上に抱え込む理由は、人間にはない」
んですね。
ある当事者の方がブログにて述べていましたが
「他者に変わって欲しかったら(理解して欲しかったら)、自分自身が変わるしかない」
という事ですよ。
「他者に変わって欲しかったら自分自身が変わる事、それができないのならば、自分自身を貫き通す事」
でしか理解者は作れないと、俺は考えています。
当事者自身が
「私はかわいそうだ、発達障害者はかわいそうだ」
等と主張するのは、子供がダダをこねているのと変わらないと思うんですね。