平将門は、朝廷に反乱する事を決意した際に
「この将門はまぎれもなく桓武天皇の五世の孫に当たる」
と宣言して自らを新皇と称したのですが、これがどういう意味か?が解りますでしょうか。
実は第26代天皇の継体天皇も、「記紀」によると応神天皇の5世の孫なんですよ。
「昔、応神天皇の5世の孫が天皇になったんだから、桓武天皇の五世の孫の俺が新しい天皇→新皇を名乗っても構わないだろ!?」
と将門は考えていたと、俺は思うんですね。
つまり
「俺だって皇族だ!」
という意識が将門の中にあったという事です。
では鎌倉幕府を開いた源頼朝には、こういう
「俺だって皇族だ!」
という意識はあったでしょうか?
これは流石になかったと俺は思うんですよ、将門の生きた時代と頼朝の生きた時代とでは、約200年の開きがありますからね。
「平将門には俺は皇族だ!という意識があったが、源頼朝にはなかった」
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平将門が堂々と関東独立を宣言したのに対して源頼朝はそうしなかったのは、これが原因だと俺は考えています。