昨日の記事にも書きましたが、奥州藤原氏当主 藤原秀衡は
「平氏に壊滅させられた源氏が万が一復活した場合、源氏が奥州に攻め込まないための保険」
として源義経を保護して、源頼朝の所に送ったんですね。
ところが、源義経が「犯罪者」になってしまったので
「義経という保険が爆弾になって戻ってきた」
んですよ。
この時点で秀衡には
「逃げてきた犯罪者 義経を始末して、その首を頼朝に届ける」
という選択肢もあったのですが、秀衡はそうしませんでした。
秀衡には
「頼朝は必ずイチャモンをつけて、我が奥州藤原氏の元に攻めてくるだろう」
という事が解っていたので
「軍事の天才の義経を、対頼朝戦用の切り札に使おう」
としたんですね。
ところが秀衡がそういう計画を立てた直後に、彼自身が病で急死してしまったんです。
そして、秀衡は後継者の泰衡に
「義経を大将軍にして頼朝に対抗せよ」
と遺言していたのですが、泰衡は
「義経さえいなければ、我が奥州藤原氏は安泰だ」
と考えてしまい、義経を殺してしまったんですよ。
この事を知った頼朝は大喜びして、早速奥州藤原氏を攻めようとしましたが、ここで問題が発生しました。
「泰衡が義経を殺して首を届けて来たので、奥州藤原氏を攻める大義名分がなくなった」
んですよ、これでは奥州には攻め込めませんよね。
…
それまでは朝廷の御命令なしに行動しなかった頼朝ですが、ここで初めて大胆な行動に出ました。
「朝廷は必ず奥州藤原氏追討命令を出すでしょうから、私 頼朝は先に奥州に攻め込みますね」
という事にして、朝廷の許可なく奥州藤原氏を滅ぼしてしまったんですね。
当たり前の話ですが、頼朝のやった事は法律に照らせば違法行為です。
しかし、朝廷(のトップ後白河法皇)は頼朝を罰する事ができませんでした。
朝廷には自前の軍事力がありませんから、頼朝の暴走を止める事ができなかったんですよ。
現在の言葉で言えば
「軍人の暴走を止めるには軍事力が必要だった」
という事です。
おはよーございます!
鎌倉幕府の成立記事ですが、だんだん終わりに近づいてきました。