鎌倉幕府の成立4 | 摩訶不思議な日々

摩訶不思議な日々

発達障害者兼オタクの雷電のブログです

初めてこのブログを訪れる方で、発達障害に興味がある方はテーマ名
「初めての方へ」
を先に読む事をオススメします。

昨日の記事にも書きましたが、奥州藤原氏当主 藤原秀衡は
「平氏に壊滅させられた源氏が万が一復活した場合、源氏が奥州に攻め込まないための保険」
として源義経を保護して、源頼朝の所に送ったんですね。

ところが、源義経が「犯罪者」になってしまったので
「義経という保険が爆弾になって戻ってきた」
んですよ。

この時点で秀衡には
「逃げてきた犯罪者 義経を始末して、その首を頼朝に届ける」
という選択肢もあったのですが、秀衡はそうしませんでした。

秀衡には
「頼朝は必ずイチャモンをつけて、我が奥州藤原氏の元に攻めてくるだろう」
という事が解っていたので
「軍事の天才の義経を、対頼朝戦用の切り札に使おう」
としたんですね。

ところが秀衡がそういう計画を立てた直後に、彼自身が病で急死してしまったんです。

そして、秀衡は後継者の泰衡に
「義経を大将軍にして頼朝に対抗せよ」
と遺言していたのですが、泰衡は
「義経さえいなければ、我が奥州藤原氏は安泰だ」
と考えてしまい、義経を殺してしまったんですよ。

この事を知った頼朝は大喜びして、早速奥州藤原氏を攻めようとしましたが、ここで問題が発生しました。

「泰衡が義経を殺して首を届けて来たので、奥州藤原氏を攻める大義名分がなくなった」
んですよ、これでは奥州には攻め込めませんよね。



それまでは朝廷の御命令なしに行動しなかった頼朝ですが、ここで初めて大胆な行動に出ました。

「朝廷は必ず奥州藤原氏追討命令を出すでしょうから、私 頼朝は先に奥州に攻め込みますね」
という事にして、朝廷の許可なく奥州藤原氏を滅ぼしてしまったんですね。

当たり前の話ですが、頼朝のやった事は法律に照らせば違法行為です。

しかし、朝廷(のトップ後白河法皇)は頼朝を罰する事ができませんでした。

朝廷には自前の軍事力がありませんから、頼朝の暴走を止める事ができなかったんですよ。

現在の言葉で言えば
「軍人の暴走を止めるには軍事力が必要だった」
という事です。

おはよーございます!

鎌倉幕府の成立記事ですが、だんだん終わりに近づいてきました。