なんかやっぱりこの日は、あの日の事を思い出す

 

今朝も会社に来て、旦那と振り返っていた

 

 

あの日、旦那はあの時間、珍しく会社にいた

 

本当に、ドンって感じの後に、大きく揺れだして

 

今までの地震と違う事は、察知できた

 

揺れが収まらないので、外に出なきゃと思ったら

 

旦那は何を思ったのか、会社の鉄の柱にしがみついて

 

「こうした方がいいんじゃ・・・」と言って、ふざけてるのかと思ったら

 

本人はいたく真剣だったようだ滝汗

 

そんなことしてる場合じゃない!早く外に出るよ!」と言って

 

外に出たら、近隣の会社の人達も外に出ていて

 

ざわざわ・・・・・・・見てると電柱があめのように揺れていてガーン

 

地盤の緩いこの辺は、かなり揺れた

 

 

外回りで出ていた当時の従業員Bにすぐに電話をして

 

会社に戻ってくるよう伝え、私達は会社でその帰りを待ってた

 

 

当時、娘は就活中で銀座にいた

 

テストを受けていた時に地震がおき、え?と思って周りを見たけど

 

皆何もないような感じでテストを受けていたという滝汗

 

その光景に異常を感じたものの、自分一人が騒ぐのもためらわれ

 

そのまま続けるも、二度目の揺れで「怖い」と感じ顔を上げたら、もう一人の

 

女の子が娘と一緒に顔を上げ、「やばいですよね」という事を会話したらしいが

 

それでも、他の人達は・・・チーン

 

っていうか、そもそも、その会社の人間誰も「避難」すら指示せず

 

平常運転で、外がざわつき始めてようやく「外に出て下さい」となったようだガーン

 

日本人って、本当にバカなの?って思う

 

そのまま解散になったものの、娘は帰宅困難になり

 

当時はまだ、私は免許を持っていなかったので

 

夕方5時前になって、社員を返し、旦那と銀座に向かった

 

道路はすでにパニック状態

 

行きは割とすんなり1時間ほどで着いて、ラッキーな事にカフェで過ごしていた娘

 

同じ会社の試験を受けていた女性と一緒だったので

 

良かったら、家に来ませんか?」とお誘いした

 

家に帰れる保証もないし、実家が地方という事を聞いたので

 

1人では心もとないと思ったから

 

これも何かのご縁でしょうから、良かったら」と何度も言ったけど

 

「彼が迎えに来る」という事で、硬くお断りされ

 

その場を後にした

 

ここからが大変で、下りは全く車が動かなくなった

 

道路には、歩いてる人と自転車であふれかえっていて

 

その光景が今も目に焼き付いてる

 

 

当時交際していた娘の彼は、学校で避難していたため

 

通り道だったので、寄り

 

家の方向の友人を何人かのせ、走り出した

 

近くにある、コンビニに寄ったけどすでに品薄状態で

 

人でごった返していた

 

甘い菓子パンが数個あり、それを手にして娘達に食べさせた

 

 

今度は、息子の学校へ

 

誰も家にいないし状況がわからないので、学校で避難させておいた方が

 

良いと判断して、学校にいるよう指示しておいたので、迎えに行った

 

全く反対方向の船橋へ向かうけど、とにかく動かない

 

息子をピックアップできたのは、何時だったんだろうか

 

22時頃だったか、もっとおそかったのか・・・

 

記憶はあいまいだな

 

学校の近くに、ラーメン屋さんがあって、営業していたため

 

とりあえずそこで、皆で夕食を食べる

 

本当に助かったし、ありがたかった

 

娘の友人宅、最後の一人を落として

 

家に戻ったのは日付を超えていたと思う

 

 

で、翌日、当時娘はマックでバイトしていたんだけど

 

出勤日で「いく」というので、え?休みでしょ…普通…滝汗って言うけど

 

お店の方達、っていうかマックの上の人間があほなんだろうけど

 

「休み」という指示がなく、旦那が送っていった

 

けど、幹線道路は前日の渋滞をまだまだ引きずっていて

 

徒歩10分くらいのあたりで下ろすこととなった

 

 

 

開店の準備をしていたところ、モール側の方が来て

 

「何してるんですか?お店は開けませんから、早く片付けてください!

 

という指示で、結局娘はとんぼ返り(あたりまえだよ)

 

とはいえ・・・松屋なんかも、今ある材料でできるだけ、無くなったらおしまい

 

とお店を開け、提供し続けているお店もあって

 

それに助けられた人も沢山いるから、どちらが正解なのかは私には判断がつかない

 

 

その後も、計画停電やスーパーの品薄状態とか、色んなことがあったけど

 

色々な人に助けてもらって、通常通りの生活ができていた

 

 

一番困ったのはガソリン

 

スタンドが軒並み、閉めていたり給油の制限をしていたり

 

当時、灯油のストーブだった我が家

 

1人18リットルまでとなって、寒い冬、心もとなかった

 

スタンドには行列だし・・・

 

車移動が仕事の様なものの我が社は、かなり困った

 

当時・・・

 

セルフじゃないスタンドでいつも入れていた

 

おじさんとは顔なじみだったので、閉まってるお店の前に車を停めて

(閉まってるけど、人はいる)

 

入れさせてもらえないか聞いたら、「いいですよ」って言ってくださって

 

「人がいたら、入れますから、いつでも言って下さい」って言ってくれて

 

事なきを得た

 

他のスタンドが閉めているので、開けるとそこに集中して大渋滞になるし

 

色々な意味でのデメリットがあるので、顔見知りのお得意様だけ対応にしたらしく

 

これは本当に助かった

 

 

会社のトラックは、会社の近くにある個人スタンドが日中は空いており

 

「ガソリンはない、軽油のみ通常利用している人のみ、そして現金のみ」

 

と張り紙がしてあって

 

うちの旦那は何食わぬ顔をして、入れに行った滝汗

 

で、そこのおじさん、最初は「ん?」と思ったようだけど

 

そこはトラックが頻繁に出入りしてるスタンドであったから

 

全部は把握できてない

 

 

で、「うちでいつも入れてます?」って聞かれて「いれてます」ってガーン

 

で、入れてもらえたびっくりなので、その後も何度か入れてもらえて助かった

 

人間度胸が大事な時もあるね笑

 

ま、そんな事があったけど

 

うちは、誰にも被害がなく、家の食器棚も耐震ラッチ付を買っていたため

 

お皿が飛び出して割れるとかもなかった(炊飯器は落ちてた)

 

さほど困る事もなかったけど

 

それから少々の備蓄はするようになった

 

毎年、この日になると、賞味期限などを見直して

 

買い替えたりするようにしてる

 

 

家が潰れちゃったら、どうしようもないけど・・・

 

 

能登半島地震でも目の当たりにしたけど

 

やっぱり命あってこそ

 

大きな揺れを感じたら、家にとどまるのは危険だと再認識させられた

 

そして、津波

 

これは、ある人がインタビューに答えてるのを聞いてたんだけど

 

津波警報が出て、旦那さんは「避難しよう」と奥さんに言ったけど

 

奥さんは来ないと思ったようで非難を拒否

 

旦那さんは、娘だけを連れて非難し、その後自宅は津波に飲まれ

 

奥さんは行方不明

 

というインタビューだった

 

旦那さんはその時、首に縄をつけてでも非難させればよかった

 

とおっしゃっていたけど、これは・・・ね・・・

 

娘さんの命だけでも救ったと思って欲しいな、と思いました

 

 

地震研究している麒麟や、個人の研究家の方達も

 

ここの所、ものすごく警戒を発信してる

 

今一度みなさんも、その時が来たら…のシュミレーションと

 

備蓄の見直しを考えて頂けたら、と思います

 

 

そして・・・

 

地方を助けることはできても

 

関東でこのような大災害が起きた場合

 

地方が首都圏を助けるというのは、無理なんですよね

 

だから、備蓄が必要なんです

 

最後は皆、自分になります

 

人の事を助ける余裕がある時はいいけど

 

支援がない状況が続けば、皆最後は自分が大事(当たり前)

 

そう考えると、本当に備蓄は大事になってきます

 

 

長くなってしまいましたが

 

地震がこないことを祈るのではなく

 

そうなった時に、どうすべきか、を考えることの方が大事です

 

この地震で亡くなった、沢山の方達のご冥福を心から祈ります