プロ野球オールスター戦では江夏豊投手の9連奪続三振や古田敦也選手のサイクルヒットなど、只一人しか達成されていなあ記録がある、そんな中でオールスター戦で1試合で5イニング投げた投手がいるのを御存知でしょうか❗❗❗

「えっ、オールスター戦では投手の投球は3イニングまででは」と思っているファンが多いと思いますが例外が認められたケースがある➡1982年7月25日のオールスター第2戦(西武球場)この試合は9回を終わって5対5の同点で延長戦に、オールセントラルの4番手投手として7回8回9回と3イニング投げた斎藤明夫投手(横浜大洋)は延長10回裏もマウンドに、試合は延長11回まで進み5対5の引き分けに終わるが斎藤投手は7回から11回まで5イニングを投げたのである~★オールスター戦では1試合での投手の投球は3イニングまでとあるが延長戦は別とある、その後オールスター戦は延長戦は行わず引き分けとする事となり、斎藤投手は唯一5イニングを投げた投手となった~⚾この試合での斎藤投手の投球内容は5回、打者20人、被安打6、奪三振5、四死球0、失点1、自責点1と天晴れな投球内容であった❗❗❗

斎藤投手は大阪商大からドラフト1位で1977年に横浜大洋に1年目から先発ローテーションに入り38試合に登板、8勝9敗、防御率4.39、140回1/3イニングを投げ規定投球回数もクリア、宿敵巨人からは4勝を挙げ巨人キラーの片鱗を見せ新人王を獲得➡翌1978年は16勝15敗4セーブ、防御率3.14を記録、奪三振162はリーグ最多、同僚の野村収投手(17勝11敗)と最後まで最多勝を争い、巨人戦では6勝を挙げ巨人キラー斎藤明夫とファンから称賛された❗❗❗

1979年は11勝6敗、防御率4.04➡1980年も14勝17敗1セーブ、防御率3.79の成績で3年連続2桁勝利をマーク、巨人戦では6勝を挙げ平松政次投手に代わり横浜大洋のエースとして君臨した~⚾1981年は5勝15敗10セーブ、防御率4.31、チームが最下位に低迷した為大きく負け越し、1980年の17敗と1981年の15敗はリーグ最多敗戦である❗❗❗

★1982年は開幕からリリーフエースとして活躍、56試合に投げ5勝6敗30セーブ、防御率2.07を記録、規定投球回数もクリアし防御率1位と最多セーブのタイトルを獲得~⚾1983年も54試合に登板、10勝8敗22セーブ、防御率3.57の成績で2年連続最多セーブのタイトルを獲得、髭のストッパー斎藤明夫の称号を欲しいままにした~⚾1984年は11勝6敗10セーブ、防御率4.88➡1985年も9勝5敗18セーブ、防御率2.13~★1986年は抜群の安定感で5勝6敗22セーブ、防御率1.85、3度目の最多セーブのタイトルを獲得、待望の通算100セーブをマークした❗❗❗

1987年は4勝1敗15セーブ、防御率2.17~★1988年は先発に戻り5勝4敗、防御率3.49を記録し通算100勝をマーク、山本和行投手に次ぎ二人目の100勝100セーブとなった~⚾1989年は8勝6敗、防御率3.22➡1990年は10勝7敗、防御率4.07、35歳にして6年ぶりに2桁勝利を挙げ浜のエースとしての面目を保った~⚾その後1991年は4勝、1992年は3勝、1993年は0勝、横浜大洋一筋で1993年に現役を引退~★通算成績は601試合登板、128勝125敗133セーブ、防御率3.52、奪三振1321、完封勝利11、無四球試合12、巨人戦の通算成績は31勝35敗、31勝は横浜大洋の投手では平松政次投手に次ぐ勝ち数である❗❗❗

引退後は1993年、1996年から1999年、2007年から2008年と三度横浜大洋の投手コーチを務め、2013年から2014年は千葉ロッテの投手コーチを歴任、大洋以外でも投手コーチを務めるなど斎藤明夫投手は人望が厚かった❗❗❗