1981年6月2日阪神VS広島戦(甲子園球場)この試合で珍記録が起きる➡阪神先発の山本和行投手は広島打線を4回までノーヒット0点にを抑える好投、4回裏には福士敬章投手から満塁本塁打を放ち6-0とリード➡しかし、5回にライトル選手に本塁打を浴びた山本和行投手は6回突如乱れだしなんと山本浩司選手に満塁本塁打を打たれ5失点でマウンドを降りた➡その後8回に山本浩司選手が中田良弘投手から2打席連続本塁打を放ち広島が9-6と大逆転➡しかし、9回裏阪神は大野豊投手を攻め10-9で逆転サヨナラで勝利、大町定夫投手に勝星が転がりこんだ➡★山本和行投手は満塁本塁打を打ったのに勝ち投手にはなれず、満塁本塁打を打ったのに同じ試合で満塁本塁打を打たれた投手は山本和行投手だけある❗❗❗

山本和行投手は広島商から亜細亜大学を経て1972年に阪神に入団、1年目は28試合に登板し3勝5敗、防御率3.42、完投勝利2、完封勝利1を記録した~⚾1973年は2年目のジンクスにぶち当たり0勝➡1974年は6勝8敗1セーブ、防御率3.38➡1975年は4勝6敗3セーブ、防御率4.79、貴重な左腕投手は先発に中継ぎに抑えにフル回転の活躍だった❗❗❗

1976年、吉田義男監督は山本投手をストッパーに指名、67試合に登板し6勝3敗18セーブ、防御率2.92の安定感で見事吉田監督の期待に応えた~⚾1977年は58試合9勝5敗9セーブ、防御率3.71、ロングリリーフも熟し投球回数は130回2/3、初めて規定投球回数をクリアした~⚾1978年はチームが最下位に低迷した為か5勝10敗1セーブ、防御率5.13と大不振~⚾1979年は8勝7敗2セーブ、防御率5.43~★怪物江川卓投手が初登板の試合で江川投手と投げ合い勝利投手となったのは山本投手だった❗❗❗

1980年は開幕から連勝街道を突っ走り15勝11敗2セーブ、防御率3.26、投球回数も221回1/3イニングを投げ阪神の左のエースとして君臨~⚾満塁本塁打を打ったのに満塁本塁打を打たれた1981年も12勝12敗1セーブ、防御率3.30の成績を残している~★1982年はリリーフエースの池内豊投手が不調の為再びリリーフに転向、63試合に登板し15勝8敗26セーブ、規定投球回数もクリアし防御率2.41、最多セーブのタイトルを獲得した~⚾1984年も52試合で10勝8敗24セーブ、防御率3.55で2度目の最多セーブを獲得、リリーフエース山本和行の名前を欲しいままにした❗❗❗

1985年、アキレス腱を切断し後半戦は離脱するも5勝6敗11セーブ、防御率2.70、大望の通算100勝を記録し阪神の21年ぶりの優勝に貢献~⚾翌1986年は11勝3敗15セーブ、防御率1.67の成績を残し復活、通算100セーブもマークし100勝100セーブの1号投手となったのである~★1988年には現役を引退、通算成績は700試合、116勝106敗130セーブ、防御率3.66、奪三振1252、完封勝利6、無四球試合は6、700試合登板は阪神の歴代の投手の中では最多である~★山本投手の巨人戦の成績は23勝24敗、1970年代から1980年代の強い巨人を相手によく投げたと思う~★左投手であった為王貞治との対決も注目され通算対戦成績は112打数27安打、7本塁打、24打点、22四死球、13三振、打率.241、王さんにベーブルースと並ぶ715号の本塁打を打たれたのは山本投手である~⚾1988年は投手コーチ兼任で若手投手を指導、1992年から1995年は広島投手コーチも勤め投手王国の礎を築いている❗❗❗