投手には二つのタイプがある、星野仙一さんの様に感情を露にして投げる投手、もうひとつはどんなピンチでも顔色ひとつ変えず鉄仮面の様にフォーカーフェイスで淡々と投げ続ける投手、どちらの投手が理想的なのかは賛否両論だが私は後者の投手が理想的な投手だと思う、そして1980年代その投手の象徴で鉄仮面左腕投手と言われたのがヤクルトで活躍した梶間健一投手である❗❗❗

1977年ルーキーながら変幻自在のピッチングで前半戦で5勝を挙げオールスター戦に選出された梶間投手はそのオールスター戦でラッキーボーイぶりを発揮した~⚾7月23日のオールスター第1戦(平和台球場)オールセントラルの3番手投手として登板した梶間投手は6回(1イニング)を無失点に抑えた、その後7回にセントラルが勝ち越しそのまま逃げ切った為、梶間投手がオールスター初登板で勝利投手となった➡2日おいて7月26日の第3戦(神宮球場)3番手の投手としてワンポインリリーフで登板した梶間投手はその裏にセントラルが勝ち越し点を入れそれが決勝点となった為、1/3イニング投げただけで再び勝ち投手に、梶間投手は新人ながらオールスター戦で2勝を挙げた~★オールスター戦は東西対抗の時代から70年の歴史があるが一回のオールスター戦で2回勝利投手になったのは梶間投手だけ、将にラッキーボーイである❗❗❗

梶間投手は1977年に日本鋼管からヤクルトに入団、1年目から打者を翻弄する変幻自在のピッチングで44試合に登板、7勝7敗1セーブ、防御率3.34を記録、150回2/3を投げ規定投球回もクリアした~新人王の声もあったが新人王を獲得したのは8勝を挙げた大洋の斎藤明雄投手だった~⚾1978年は2年目のジンクスにぶち当たり3勝8敗2セーブ、防御率5.34、と不振に喘いだがチームは球団創設以来初優勝、阪急との日本シリーズでは3試合に登板し5回2/3イニングで奪三振5、失点1と好投、ヤクルトの日本一に貢献した~⚾1979年は10勝12敗、防御率5.11で初の2桁勝利を記録➡翌1980年も15勝8敗、防御率2.76の成績を残し安田猛投手に代わりヤクルトの左のエースとして君臨したのである❗❗❗

1981年以降ヤクルトは暗黒時代、チームが不振だったが梶間投手は孤軍奮闘、顔色ひとつ変えずフォーカーフェイスで鉄仮面の様に淡々と投げ続けた~⚾1983年は14勝12敗3セーブ、防御率3.21、投球回数は232回2/3初めて投球回数200イニングをクリア、3試合に完封勝利を挙げた➡1984年は12勝11敗2セーブ、防御率3.75➡1985年も11勝17敗、防御率4.22、3年連続で2桁勝利を挙げ燕軍団のエースの面目をたもった~⚾しかし1986年以降は肩、肘、等の故障に悩み勝ち星には恵まれず1988年に36歳で現役を引退した~★通算成績は428試合に登板、85勝101敗13セーブ、防御率4.01、1016奪三振、完封勝利は7回、無四球試合3回である❗❗❗

引退後も梶間健一さんはヤクルト一筋、1989年から1999年までヤクルトの投手コーチを歴任、主に2軍コーチを担い若手投手の育成に心血を注いだ~⚾コーチを退いた後はヤクルトの独身寮の寮長となり2014年にはジュニアリーグのヤクルトジュニアチームの監督に就任、現在時代どんな場面でもフォーカーフェイスの鉄仮面左腕投手は指導者としても鉄仮面、常に沈着冷静の指導者である❗❗❗