★プロ野球史上初、東京大学出身投手同士の投げ合い➡2017年のドラフト会議で日本ハムに7位で指名された宮台康平投手が日本ハムに入団、6人目の東京大学出身のプロ野球選手が誕生した➡ではでは、東京大学出身の選手で初めてドラフトで指名された選手は❓東京大学出身の投手で初めてプロ野球で勝利投手になった投手は❓東京大学出身の選手で初めてプロ野球で本塁打を打った選手は❓

1967年、史上初の記録が生まれる、9月10日の中日VS大洋戦、中日の投手は井出峻投手、大洋の投手は新治伸治投手、井出投手と新治投手は共に東京大学出身、プロ野球史上初東京大学出身投手同士の投げ合いになったのである、試合は7対4で中日が勝利、中日のルーキー東京大学出身の井出投手が勝利投手になった、東京大学出身の投手同士の投げ合いはこの試合だけである❗❗❗

新治伸治投手は東京大学から大洋漁業(マルハニチレイ)に入社、東京大学時代は8勝43敗の成績、2年後の1965年、三原修監督の誘いで大洋ホエールに入団した~★1年目は40試合に登板し5勝2敗、防御率3.16を記録、東京大学出身の投手では初めての勝利投手となった、これぞ正しく三原マジックである~⚾翌1966年も37試合で4勝4敗、防御率3.60、中継ぎ投手としては上々の成績を残している~⚾しかし1967年は5試合で0勝0敗、防御率0.00➡1968年6試合0勝0敗、防御率5.14➡その年のオフ、三原監督の退任と同時に現役を引退した~★4年間の通算成績は88試合、9勝6敗、防御率3.29である~⚾引退後は大洋漁業に復職、大洋漁業の支店長や支社長を歴任、大洋クラブ(マルハニチレイのゴルフ場経営会社)の社長と横浜ベイスターズの球団顧問も務め、引退後も大洋一筋であった❗❗❗

井出峻投手は1967年に中日ドラゴンズ入団、新治伸治投手の時はドラフト制度がなかったため、井出投手が東京大学出身の選手で初めてドラフトで指名された選手となる~⚾1年目の1967年は17試合で1勝4敗、防御率5.13、1勝は新治投手と投げ合い勝利投手となった1勝、井出投手は1968年と1969年は1軍登板なし、1970年からは野手に転向したため奇しくもプロでの勝ち星はこの1勝だけである~⚾野手としては主に守備要員や代走選手として1976年までプレー、投手時代と合わせての通算成績は359試合、64打数12安打、1本塁打、2打点、打率.118~★東京大学出身の選手で本塁打を打ったのは井出選手だけである❗❗❗

引退後も井出選手はドラゴンズ一筋、1978年から1986年まで中日の走塁守備コーチを歴任、中利夫監督、近藤貞雄監督、山内一弘監督に仕えた、1987年から1991年は球団取締役となり、1992年から1995年は再び中日の走塁守備コーチに就き高木守道監督に仕えている~⚾ユニホームを脱いだ1996からは中日の球団代表、2015年に退職するまで50年間中日ドラゴンズに在籍、選手出身者の同一球団での在籍期間では記録的な長期間である~★東京大学出身の選手で初めてドラフトで指名された選手は➡井出峻選手~★東京大学出身の投手で初めてプロ野球で勝利投手になった投手は➡新治伸治投手~★東京大学出身の選手で初めてプロ野球で本塁打を打った選手は➡井出峻選手~この3つはプロ野球雑学クイズなどで出題されることがあるので、記憶しておくと為になる雑学だと思います❗❗❗


★6大学史上初女子投手同士の投げ合い➡2001年の東京6大学春のリーグ戦で史上初の出来事が記録される➡5月28日の明治大学対東京大学戦、明治大学の投手は小林千絋投手、東京大学の投手は竹本恵投手、6大学史上初の女子投手同士の投げ合いとなった➡試合は明治大学が勝利したが、小林投手には勝ち星が付かず、竹本投手は負け投手となった~★小林投手の登板は大学4年間でこの試合のみ、竹本投手は4年間で4試合0勝1敗の成績である❗❗❗