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『権藤、権藤、雨、権藤』~これは1960年代中日のエースとして活躍した権藤博さんの事である~soon権藤博さんは九州のノンプロ、ブリジストンタイヤから1961年に中日に入団~soon開幕早々の4月に8試合に登板し4勝を挙げたのを皮切りにオールスターまでに34試合に登板し17勝を挙げた~soon当時、同じ九州出身の濃人貴実監督の権藤博さんへの信頼度は高く、後半戦も権藤博さんを使いまくり、8月はなんと14試合に登板し8勝を挙げたのだ~soon同年、巨人のエースだった堀本律雄さんは「中日は権藤しかピッチャーはいないのか『権藤、権藤、雨、権藤、移動日、権藤、雨、権藤だ』」と言う球史に残る言葉を発したのだ~soonその年権藤博さんは69試合に登板35勝19敗、防御率1.70(投球回数429回3分の1)の成績を残した~soonこれだけの数字なら新人王は勿論、沢村賞とMVP も獲得した様に思われるが~soonその年のリーグ優勝は巨人、MVPは打率.353、28本塁打86打点で首位打者と本塁打王を獲得した長島茂雄さんだった~soon権藤博さんは翌1962年も30勝17敗、防御率2.33の成績で2年連続最多勝を獲得した~soonしかし登板過多の為、1963年は10勝12敗、1964年も6勝11敗、と不振に終わった~soon1965年からは打者に転向するが1968年には現役を引退した、投手としての通算成績は81勝59敗、通算防御率は2.56である~soon前回紹介した権藤正利とは逆に太く短い現役人生だった野球野球野球