
1984年セリーグの本塁打王争いは宇野勝選手(中日)と掛布雅之選手(阪神)の熾烈な争い~
共に37本で並び残り2試合、その2試合は皮肉にも中日VS阪神の直接対決となった~
そして、その2試合が悪夢を引き起こす~幕開けは10月3日のナゴヤ球場~初回1死1塁3塁で4番の掛布に対し中日先発の鈴木孝政投手は明らかなボールを4球続け掛布を歩かした~
一方1番に座った宇野も初回いきなり敬遠される~圧巻は7回2死満塁の場面での宇野の5打席目~阪神ベンチはその宇野を敬遠し押し出しで1点を献上したのだ~
結局この試合は宇野、掛布共に5打席全て四球に終わる~
そして、悪夢は10月5日の甲子園でも繰り返された~プレーボールの直後、阪神先発の池田親興投手は中日の1番宇野をいきなり敬遠した~
この年ルーキーイヤーでここまで9勝8敗の池田投手は10勝の懸かったマウンドだったがベンチの指示に逆らえなかったのだ~
結局二人はナゴヤで5打席、甲子園で5打席と10打席連続四球の日本記録(当時)を作り本塁打王を分け合った~
そして、この試合は中日が7対6で勝利し、池田投手はルーキーでの2桁勝利を逃した~
掛布自身は3度目、宇野は初めての本塁打王だったが二人にとってこの2試合は悪夢であっただろう・・・
因みに、2桁勝利を逃した池田投手は新人王も小早川毅彦選手(広島)に持って行かれた~
池田投手は2年目も9勝止まり、3年目以降は故障に悩み、その後リリーフに転向~引退するまで10勝を挙げるシーズンは無かったのだ~
そして、当時の監督は中日が山内一弘さん、阪神は安藤統男さんだった

