卒園式の準備がなかなか進まなかった。

原因は雨風の天候が続き体調がパッとしなかったからだ。

自分だけではなく保育室に通う子どもたちも風邪症状、おまけに夫も謎の左まぶたの腫れと目頭の粘膜の赤みからの激しい咳。

もう一人の保育補助のヒロコさんは卒業式の着付け補助の仕事で3月は一週間に一回しか来れないのだ。

3/21の娘の誕生日はケーキを食べただけ。

27日のわたしの誕生日は朝からの頭痛(高気圧頭痛)と、やることなすこと全てうまく行かないという一日だった。

25日の舘様の生誕祭はインスタライブの途中から参加。

昨日は夜中に目が覚めてしばらく眠れず。

逆流性食道炎がひどくなっていた。

そんな中で迎えた卒園式。

今回は一部は保育参観と保育参加。

3家族総勢10名+わたし、夫、ヒロコさん。

もう、ぎゅうぎゅうだ。

いつもやっている歌や手遊び、リズムの披露。

おすもうくまちゃん(歌あそび)は保護者に参加してもらった。

第一部終了後、わたしが着替えているあいだにお茶タイム。

保護者には桜茶、子どもたちにはカモミールティーでひと休み。



0歳児が人見知りで大泣きしていたがやっと落ち着いたので「めっきらもっきらどおんどん」の絵本を読んだ。

皆さん静かに聞いてくれたが突然Aくんの母が号泣!

どうした?

何か思い出があるのか?

後でお母さんが話してくれたのが
「自分が入院中に子どもたち三人がお見舞いに来てくれてガラス越しにおかーさーんと呼んでくれたことを思い出した」
「おかあさん、てすごい言葉で自分はその声に力をもらって入院生活を乗り越えられた」

わたしもグッと来た。

心臓に空いた穴から血栓が飛び、脳梗塞と脳出血を患い高次脳機能障害を抱えるお母さんはとつとつと話してくれた。

雪が降ったあとの公園で子どもたち三人と雪遊びしていたお母さんと二年前の冬に出会い、わたしが保育室に誘ったのだった。

「先生が子どもを保育室に入れてがんばって働け、と言うから(言ってないよ!)こんな病気になった、と恨んだ時もあったけど(えーっ、そうだったの?)すぐ考え直して今では母のような存在」
とのこと。

「姉にしてくださいよー笑」
と言った。

0才児のお母さんも
「おばあちゃんが公園で先生に出会って声をかけてくれたからここに入って夜中も眠れるようになって神様みたいな(言い過ぎ!)存在」
と言ってくれた。

わたしもこの保育室を立ち上げたいきさつや保育園勤務時代に心を病んだこと、なかなか子どもが授からなかったこと、シュタイナー教育との出会い、コロナ禍ひっかく子どもがいて苦しかったこと、2021年に脳梗塞になったこと、同じ苦労なら保育ママをしようと決意したことなど話した。

思えば開業して二年目の卒園式では自分のことを語らなかった。

病を得てわたしも肩の力が抜けたのかな。


これまでの困難が全て吹き飛んだ幸せな時間だった。

夫やヒロコさんへの感謝の気持ちもこの場で伝えることができた。

今年の誕生日のプレゼントだった。

ここで調子に乗らないようにして、来年度の目標を考えようね、自分?