イチャンカラの歴史的建造物(続き)
2026.5.8~10 イチャンカラの歴史的建造物(続き)イチャンカラの歴史的建造物はまだまだ沢山あります。前回からの続きをご紹介します。【タシュハウリ宮殿】 Tash Khovli Palaceタシュハウリ宮殿は、ヒヴァ=ハン国の君主アラクリ・ハンにより、それまであったクフナ・アルク宮殿に匹敵する新しい宮殿として1830年から1838年にかけて建設されました。 「タシュ・ハウリ」は「石の庭」という意味だそう。謁見や儀式などの公務を行う場、宴会や娯楽や生活の場、正妻や側室たちの暮らすハーレム、の3つの用途に分かれています。《南側にある儀式が行われたテラス》宮殿の南側の入口からはいると、「アルズ・ハウリ」と呼ばれる裁判などの公務の場として利用された一角があります。高い柱で支えられるテラスがある建築様式をアイヴァン様式といいます。周囲の壁は、独特の精緻な図柄のブルーのタイルで覆われています。天井はカラフルな模様で美しく装飾されています。中庭には来客をもてなす際のユルタ(遊牧民のテント)を建てるための台座があります。ハンは、ユルタで過ごすことを好んだのだとか。《北側にあるハーレムの入口》中に入ると、青い幾何学模様のタイルで装飾された2階建ての建物が中庭を囲んでいます。南に面した大きなテラスを持つ部屋が、ハンの執務室と4人の正妻のもの。北側の部屋が側室や使用人の部屋だったそうです。ハンの居室 壁は全面ブルーのタイル張りで絢爛豪華です。天井は木製で渋めの装飾が施されています。他の部屋も、タイルと天井の装飾が美しい・・・しかし、床が素っ気ない。 きっと昔は絨毯が敷き詰められていたのでしょう。可愛い装飾の部屋もありました。 ハンの寵愛の度合いによって豪華さが変わるのかしら?【パフラヴァン・マフムド廟】 Pahlavan Mahmoud Mausoleumパフラヴァン・マフムドは毛皮商人であると同時に詩人・哲学者であり、ウズベキスタンの伝統的武術、レスリングのような「クラッシュ」が強かったことから、「強者」を意味する「パフラヴァン」と呼ばれるようになったそうです。どんな偉業や奇跡を起こしたのか知りませんが、彼はヒヴァの庇護者(守護聖人?)として人々から尊敬されていたそうです。この建物はマフムドと彼の親族、そして彼を慕う歴代の国王が眠る廟、つまりお墓です。マフムドの傍に葬られると、来世で幸せになれると信じられていたそうです。重要かつ見応えのある施設であるためか、意地悪くも共通入場券では入れず、別料金50,000UZS(約660円)でチケットを買う必要があります。 私は最終日まで入場を躊躇していました。立派な門構えの入り口を入ると、「Another ticket!」と怖い顔をして睨みつけるオバサンが居ます。何人もの観光客が彼女によって追い返されていました。数日前は私もその一人でしたが、今日は50,000スム紙幣を渡して中に入りました。タイル装飾なしのレンガ造りの質実剛健な門。門の内側正面が霊廟、右が夏のモスク廟内には靴を脱いで入ります。廟内に入って正面の棺は、パフラヴァンのものではなく、ヒヴァ=ハン国の王の一人ムハンマド・ヒラム・ハンのものです。ムハンマド・ヒラム・ハンの棺この部分の廟は、ムハンマド・ヒラム・ハン本人により増築されたものだそう。廟内は全面ブルーのタイル張り荘厳にして静謐な雰囲気隣の部屋の奥に主人公のパフラヴァン・マフムドの石棺が安置されていました。この部屋はガラスで覆われていたため光の反射が映り込んでしまいました。マフムドの石棺が安置されている廟の前室(即ち私が写真を撮っている部屋)の天井とシャンデリアを真下から撮ってみました。 溜息が出るほど美しかったです。下のタイルの文字を「レンズ」や「Google翻訳」で調べてみましたが意味不明でした。別の部屋にはヒヴァ=ハン国の王、アラ・クリ・ハンの石棺がありました。 アラ・クリ・ハンば、この記事の冒頭でご紹介した「タシュハウリ宮殿」を建てた国王です。覚えておられましたか?横画面で右から撮ったり・・・、縦画面で左から撮ったり・・・。正面の霊廟から出て、中庭に向かって右手の建物内に、ヒヴァ=ハン国の王の一人、イスファンディヤル・ハンの霊廟があります。 写真の一番右の入口です。イスファンディヤル・ハンとその親族の石棺です。中庭です。 花壇の花が美しく咲いていました。中庭のテラスは夏のモスクです中庭には井戸がありました。壁に設置されていた手摺のない石段を恐るおそる登って高い所から写真を撮ってみました。 青い巨大なドームが霊廟を被っているのが分かります。 他にもお墓がありました【東門(パルヴァン・ダルヴァザ)】 Polvon Darvozaイチャン・カラの東側にある門で、「奴隷の門」とも呼ばれるそう。それはこの門の外側で、昔は中央アジア随一の奴隷市場が開かれていたことに由来します。それを知ってこの門外に佇むと、往時の奴隷たちの憤怒と絶望の想いが察せられ、複雑な気持ちになりました。【南門(ヴォロタ・タシュ・ダルヴァザ)】 Vorota tosh Darvozaイチャンカラの南門です。 私は意識せずに歩いていて偶然この門に辿り着きました。カラクム砂漠に向かう門であるため、キャラバンの人たちはラクダを連れてこの門から出て行き、また遠くから砂漠を超えてやって来たキャラバンの人たちは、安堵の想いでこの門からヒヴァの街に入って来たのでしょう。そう思うと感慨に浸る思いがしました。【アラクリ・ハン・キャラバンサライ】Allakuli Khan Caravanserai「キャラバンサライ」と聞いて、趣がある内部を期待して行ってみると、中は単なる土産物売り場で埋め尽くされており、ガッカリ。写真を撮る気も失せて、早々に失礼しちゃいました。【ビジネス開発銀行の支店】 Biznesni Rivojlantirish Banki現地通貨のウズベキスタン・スム(UZS)が残り少なくなってきたので、銀行を探して行ってみました。すると、カルタミノルの筋向いに、小さな銀行窓口を発見しました。教えて貰わなければ絶対に見つけられないほど地味な店構えです。中は空いていて、パスポートの提示も求められずに直ぐに両替をして貰えました。私の場合、70$を両替したら、847,500UZS貰えました。このRateは非常に良いRateで、殆ど手数料なしといっても良い位だと思います。イチャンカラの主要建物のご紹介はこの位にして、以下は街を歩きながら撮影した写真や、食事した際の写真などを、何枚か順不同で掲載したいと思います。夜景も撮りましたのでご覧ください。以上でヒヴァのイチャンカラのご紹介を終わります。最後までお付き合いいただき有難うございました。あー、疲れたー!