尾張一宮(オワリイチノミヤ)PA(パーキングエリア)(下り)

一宮市で取れた地元ブランド尾張の卵と(フクラミツと呼ばれる)はちみつを使用した 尾張一宮PA限定の「幻の福来密(フクラミツ)カステラ」が有名です。


「幻(マボロシ)の福来密(フクラミツ)カステラ」

5月下旬~6月のわずかな時期にしか咲かない「クロガネモチ」の花から集められた「幻のハチミツ」と言われる一宮の特産品(福来密フクラミツ)と地元ブランド尾張(オワリ)の卵を使用したカステラで尾張一宮(オワリイチノミタ)PA(下り)でしか買えない商品です!

令和5年8月1日📺️アップで紹介)




※ツインアーチ138(イチサンハチ)

一宮ICから名神高速に入ると右奥に

ツインアーチ138(イチサンハチ)がご覧いただけます。

木曾川(キソガワ)、長良川(ナガラガワ)、揖斐川=イビガワ)の三つの川を木曾三川(サンセン)といいますが、その木曽三川を一望(イチボウ)できる中央水郷(スイゴウ)地区の中心に建つ展望タワーの事でツインアーチ(1いち・の・3み・8や)ともいいます。

木曽三川(キソサンセン)公園は、岐阜、愛知三重の三県にまたがる日本一広い国営公園でございます。



一宮IC(インターチェンジ) 


それでは、こちら一宮ICから名神高速道路に入り、途中○○SA(サービスエリア)で休憩をとりながら○○まで進めて参ります

こちら一宮ICは、濃尾平野(のうびへいや)のほぼ中心にあり岐阜県南西部美濃(みの)から愛知県北西部尾張(おわり)と三重県北部伊勢(いせ)の一部にかけて広がる日本で関東(かんとう)石狩(いしかり)、十勝(とかち),越後(えちご)に次いで五番目に大きい平野で、濃尾(のうび)とは、昔の国の名前で、美濃(みの)の濃と尾張(おわり)の尾(オ)をとって名付けられています。


旧国名

*愛知県=尾張国(おわりのくに)三河国(みかわのくに)二国


*岐阜県=美濃国(みののくに)飛騨国(ひだのくに)二国


*三重県=伊勢国(いせのくに)志摩国(しまのくに)伊賀国(いがのくに)三国


一宮市(イチノミヤシ) 

左手には、裸祭り(はだかまつり)で名高い(なだかい)大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)国府宮(こうのみや)と植木の町として知られます稲沢市(いなざわし)を、又、反対、右手には繊維(せんい)の町とモーニング発祥(はっしょう)の地として、或いは、妙興寺(みょうこうじ)や真清田神社(ますみだ)として知られます一宮市(いちのみやし)がございます。 


参考

人口38万人位 令和5年1月 

参考

将棋 豊島将之(とよしままさゆき)九段の出身地


一宮市は、尾張一宮(おわりいちのみや)真清田神社(ますみだ)の門前町(もんぜんまち)として栄え、町の名前も神社の尾張一宮(おわりいちのみや)に因(チナ)んでつけられたのでございます。


一宮は、織物の町として有名ですが織物の歴史は大変古く、平安時代にさかのぼるといわれ、江戸時代には結城縞(ゆうきじま)などが盛んに織られておりました。

やがて、東海道(とうかいどう)と中仙道(なかせんどう)を結ぶ美濃路(みのじ)、岐阜街道が開かれ交通の便がよくなりますと、三八市(さんぱちいち)が立つなど商取引の中心地となり、いっそう織物業を発展させたのでございます。

現在では、全国一を誇る毛織物(けおりもの)など、全国の70%を占め、イタリアのビエラ、イギリスのハダース フィールドと並ぶ毛織物の世界三大産地として知られています。

また、こちら一宮では、毎年7月の第4日曜日をまじえた四日間、おりもの感謝祭(かんしゃさい)七夕祭りが行われております。

これは、繊維の町として織物に感謝する意味をこめたお祭りで、期間中にはミス七夕、織物が発表されるなど、盛り沢山(たくさん)の行事が行われております。

皆様方も機会がございましたら、一度お訪ね下さいませ!


真清田神社 

ところで、町の名前のもととなりました真清田神社(ますみだじんじゃ)は、遠く平安時代から尾張国の一之宮(おわりのくにの いちのみや)として崇(あが)められて参りました。

御祭神(ごさいじん)は、尾張開拓(おわりかいたく)の祖(そ)として知られます天火明命(あめの ほあかりのみこと)で、凡そ2650年程前に鎮座(ちんざ=まつること)されたもので、御神体(ごしんたい)は『五陵鏡(いすずのかがみ)』でございます。

真清田神社は、出世運(しゅっせうん)、開運厄除(かいうんやくよけ)子孫繁栄(しそんはんえい)にご利益(りやく)がございます。

天火明命(あめの ほあかりのみこと)は鏡造り(かがみつくり)の元祖(がんそ)といわれ、これに因んで一宮のマークも五陵鏡を模(も)した物と言われております。

       

また、この神社には自分で石占いの出来る重軽石(おもかるいし)がございます。

地元では『おもかるさん』と呼ばれております。

場所は、お水取り(おみずとり)の出来る神水舎(しんすいしゃ)を探して下さいませ!

神水舎の井戸の右側、座布団(ざぶとん)の上に大きな石が置かれております。

石占いの方法が書かれているわけでなく、さりげなく置かれているだけでございます。

拝殿(はいでん)で神様に、ご挨拶してから一度、石占いの石を持ち上げて見て下さいませ!思ったより、ずっしり重い事と思います。

次に、占いたい事、願いたい事を念(ねん)じて、もう一度、石を持ち上げてみます。

持ち上げた時、石が前よりも軽く感じたら

{このまま進めば、お願いは叶(かなう)うでしょう}

{今のところ心配事はおこらないでしょう}という事になるそうです。

反対に、持ち上げた時、前よりも重く感じたら

{お願い事が叶う(かなう)にはもっと努力が必要です}

{今後、心配事は起こる可能性がございます}

と言われております。

伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)にも、重軽石(おもかるいし)があり、石を持ち上げた時に、

石の重さが軽いと感じられれば願い事が叶(かな)う

日が近い、思ったよりも重ければ願い事が叶(かな)う日が遠いと言われております。

      

妙興寺   



所で、一宮市の西の端 名鉄名古屋本線の妙興寺駅(みょうこうじえき)から、少し普賢菩薩(ふげんぼさつ)に、右側に、獅子に乗りました文殊菩薩(もんじゅぼさつ)を脇侍(わきじ)にお祭りしております。

貞和(じょうわ)4年(1348)に、尾張国(おわりのくに)中島城主(なかしま じょうしゅ)中島宣長(なかしま のりなが=通称 蔵人くらんど)の次男、滅宗 宗興(めっしゅう そうこう)により創建され、1353年には、足利義詮(あしかがよしあきら)をはじめとする足利氏歴代の祈願所として知られ1356年には、当時の後光厳天皇(ごこうごん てんのう)の勅願所(ちょくがんしょ)となりました由緒(ゆいしょ)ある寺でございます。

山号(さんごう)の報恩(ほうおん)は、母の恩に報(むく)いるという意味で名付けられております。


※妙興寺を詳しく案内する場合!

妙興寺は、西側からも入れますが、南側から入るのが正式参拝となります。


総門(そうもん)から入りますと、正面に勅使門(ちょくしもん)が見えて参ります。創建当初(そうけんとうしょ)の姿を唯一(ゆいいつ)残す建物で、国指定重要文化財に指定されております。

勅使門には文和2年(ぶんわ=1353年)後光巌天皇(ごこうごん てんのう)より賜(たまわ)った勅額(ちょくがく)、国の中で、比べる相手 がいないほど立派な寺という意味の『国中無双禅刹=こくちゅうむそう ぜんさつ』が掛かっております。

この門はくぐれませんので門の右側を通ります。


次は三門(さんもん=二重門)をくぐり、手水(てみず=手を洗い清める所)で手を清めていただいた後、ご本尊(ほんぞぞん)が祭られています仏殿(ぶつでん)をお参りしていただきます。


仏殿(ぶつでん=4月1日~11月30日の間、天気のよい日でないと内部参拝出来ません)をお参りした後、仏殿から、左手に行きますと、弁天池(べんてんいけ)があります。

弁天池の近く、左手に布袋様の石象を眺めながらやがて、正面に鐘楼(しょうろう)が見えてきますが、その手前、右手の、本坊(ほんぼう)で御朱印(ごしゅいん)をいただくことが出来ます。

※参考=御朱印とは、神社や寺を参拝した時の、参拝証明として押印(おういん)されます印象印影(いんしょういんえい)のことです。


また、近くには鬼瓦(おにがわら)がございます。

目をつりあげ、牙をむきだす姿は、迫力満点(はくりょくまんてん)そのものと言われております。


その、近くに皆様も入学式や卒業式、オリンピックなどで、お聞きになられたことのある日本の国歌『君が代』の中で歌われております『さざれ石=細石』もご覧いただけます。


ちなみに、国歌『君が代』は、岐阜県揖斐川町春日地区(いびがわちょうかすがちく=旧春日村)の『さざれ石公園』の『さざれ石』が本家本元でございます。

又、鐘楼(しょうろう)は、勅使門(チョクシモン=重要文化財)と同じく、文明(ブンメイ)2年(1470)の再建で県指定文化財になっています。


※参考

妙興寺(ミョウコウジ)は、俗に『尾張(おわり)の杉田(過ぎた)の妙興寺という言葉で紹介されております。これは、『杉田』と『過ぎた』をかけた言葉で、立派な寺と言う意味があるそうです


※参考 近くの名所

※一宮市博物館=妙興寺境内

※笠懸(カサガケ)の松

※照手姫袖(テルテヒメソデ)かけ松

※夏木園跡

※大神(オオミワ)神社

※豊島記念資料館

※油田遺跡

※一宮モーニング

※アニマルカフェ不可思議

※株式会社長谷川商店

※トランポリンゾーンネクスト

※禅林寺(ゼンリンジ)

※木曾川堤=桜

※三岸節子(ミギシ セツコ)記念美術館


大國魂神社(オオクニタマジンジャ)

又、先程、左手には稲沢(イナザワ)の町がございましたが、町中(マチナカ)には裸祭り(ハダカマツリ)で有名な大国霊神社(オオクニタマジンジャ)、俗(ゾク)に国府宮(コウノミヤ)といわれるお社がございます。 

御祭神(ゴサイジン)は大国主命(オオクニヌシノミコト、イザナギノミコト、天照神(アマテラス オオミカミ)等七柱(ナナハシラ)の神様をお祭りしております。

こちらの裸祭りは、一名『なおい祭り』とも、いわれ、静岡県島田市(しまだし)の『帯び祭り』、山梨県富士吉田市(フジヨシダシ)の「火祭(ヒマツ)り」と共に『日本三奇祭(きさい)』の一つに数えられております。

このお祭りは毎年、旧暦(きゅうれき)の1月13日に行われ、この日ばかりは、我が身の厄をはらわんと集まった人々で賑わいを見せております。

因みに、令和5年2月3日、節分(セツブン)の日にはコロナがはじまって以来、3年ぶりに『はだか祭り』が行われテレで放送がされておりました。

神男(シンオトコ)は建設業を営む、あま市の矢澤謙二(ヤザワケンジ)さんでした。

祭りの見どころは、毎年、くじ引きで選ばれる神男に触れて厄を落とそうと裸男たちが激しく群(ムラ)がる『もみ合い』で、新型コロナの影響で行われていませんでしたが、ようやく復活し、沢山(タクサン)のお客様で賑わいを見せたのでございます。


木曽川(キソガワ)

これから木曽川にかかる木曽川大橋渡りまして愛知県から岐阜県に入ります。

木曽川は長野県の木曽山中に源を発し、木曽節と共に親しまれ、寝覚(ネザメ)めの床(トコ)、落合(オチアイ)、恵那峡(エナキョウ)、日本ラインと数々の渓谷美を作り、流れ流れて227km伊勢湾に注いでおります。


左手、ご覧下さいませ。アーチ型にトラストが組んでございますが新幹線の木曽川橋でございます。

東海道新幹線は、昭和39年東京オリンピックの年に開通しており、当時は新大阪まででしたが、現在は新大阪から博多まで山陽新幹線が走り、博多からは九州新幹線、東京からは北陸新幹線と走り便利な世の中になりま左た。

因みに、現在、新幹線より早い乗り物をと、時速500kmで走行し、東京から大阪を約67分で移動できるリニア中央新幹線の工事が行われています。

東京 ~ 大阪間を名古屋経由で結ぶ高速鉄道で、2027年に東京ー名古屋間が開通、更に2045年に名古屋ー大阪間が開通する予定となっています。


木曽川を渡ったら

それでは、木曽川を渡り、愛知県から岐阜県に入りました。

新幹線の軌道(キドウ)が左手にご覧いただけますが、この先、高速の上を通り右手に軌道が変わって参ります


岐阜羽島(ギフハシマ)IC

岐阜羽島ICを通過致します。

この辺りから、右手ご覧下さいませ。新幹線の岐阜羽島駅が娯楽頂けます。

どうして、こんな田んぼの中に新幹線の駅がと思いになられる方もいらっしゃるかと思いますが、これは岐阜県が生みました政治家大野伴睦(オオノ  バンボク)さんの力添えで出来たものといわれ、一時は、田んぼの中の政治駅と言われたこともございましたが、最近では道路も整備され昭和57年12月名鉄電車が新岐阜駅から乗り入れしており、随分と駅周辺も様変わりをしております。


お千保(チョボ)稲荷

左手、入ったところに、お千保稲荷がございます

その昔、源義家(ミナモトノ  ヨシイエ)が六男義隆(ヨシタカ)に宝剣(ホウケン)など3種の神宝(シンポウ)を千代に保てと譲り、子孫が社を建て祭ったのが始まりでございます。

現在では、五穀豊穣(ゴコクホウジョウ)、商売繁盛、家内安全(カナイアンゼン)を願う参拝客で賑わいを見せております。

ところで、お千保稲荷といえば、ナマズの蒲焼(カバヤキ)が有名でございます。

うなぎとナマズと申しますと随分と聞こえ方が違いますが、これが大変な珍味(チンミ)と言われております。

ナマズを蒲焼で召し上がっていただけますと、うなぎよりもさっぱりとしたお味とか。

また、お刺身で召し上がっていただきますと、イカの刺身に似た感じですが、思うよりも生臭(ナマグサ)くなくナマズの刺身ですよと聞かない限りは、結構、食べやすいそうです。

最近では、うなぎ以上にナマズも高嶺(タカネ)の花と言われております。

一度、話の種に召し上がっていただきたいと思います。皆様いかがでしょうか?


参考

令和5年10月26日、近畿大学は大学として世界で初めて、ニホンウナギの完全養殖に成功しました。

近畿大学によりますと、近畿大学水産研究所は1976年からウナギの養殖についての研究を開始していて、令和4年10月、養殖で「卵から育てたウナギの雄」から精子採取に成功し、今年、令和5年7月5日、養殖で「卵から育てたウナギの雌」から採卵(サイラン)して人工授精(ジンコウジュセイ)し、その翌日に養殖2世代目となるウナギの仔魚(シギョ)がふ化し、完全養殖に成功致しました。