令和6年4月2日、修正致しましたので宜しくお願い致します。
少しでも参考になっていただければ幸いでございます。
皆様、車は 名古屋駅を後に 名駅(メイエキ)から名古屋高速に入りました!
ハイ、皆様、右手前方、時計の短針(タンシン)が一時の方向をご覧下さいませ!
金のしゃちほことブラタモリで有名になりました名古屋城が見えて参りました。
名古屋城の近くには大相撲名古屋場所が行われますドルフィンズアリーナがごさいます
※名古屋城、名古屋市役所、愛知県庁の写真は現地で撮影したものです。
皆様、右手ご覧下さいませ
時計搭のある建物が名古屋市役所その右横お城の様な屋根のあがっている建物は愛知県庁でございます。
※県庁は工事中
※名古屋城天守閣部は工事で見る事は出来ません 令和5年12月
(例) 天気が良く、山が見え紹介する場合
※↓の写真を拡大すると東山スカイタワーが見えると思います。
皆様、右手、前方 時計の短針が1時ぐらいの方向をご覧下さいませ
独立峰(どくりつほう)の活火山(かつかざん)御嶽山(おんたけさん=標高3067m)がご覧いただけます!
御嶽山は、長野から岐阜県にまたがる山で富士山に次いで二番目に高い山と言われます!
御嶽山(オンタケサン)の左横、11時位の方向に乗鞍岳(ノリクラダケ)が、また御嶽山の右横には、中央アルプスの山並みが、そして、右手、3時位の方向に船を伏せたような山が恵那山(エナサン標高2191m)
その恵那山から少し右横をご覧いただきますと恵那山に似た感じの山が猿投山(サナゲヤマ標高629m)
その右奥、鉛筆のような形の建物がご覧いただけますが東山スカイタワー(高さ134m)で、麓には イケメンゴリラのシャバーニやコアラ、ジャガーのマヤで有名な東山動物園がございます。
※に続く
参考
東山タワーを目印に猿投山、恵那山、中央アルプス、御嶽山、乗鞍岳の順で紹介して見ては
参考=御嶽山
東日本火山帯の西端(ニサハシ)に位置する複合成層火山(フクゴウセイソウカザン)といわれ、独立峰(ドクリツホウ)として富士山に次ぐ高さの山
参考
乗鞍岳という山はなく剣ヶ峰(ケンガミネ)を主峰(シュホウ)とする山々の総称の事
(例) 山を紹介しない場合
皆様、車は 名古屋駅を後に 名駅(メイエキ)から名古屋高速に入りました!
ハイ、皆様、右手前方、時計の短針(タンシン)が一時の方向をご覧下さいませ!
金のしゃちほことブラタモリで有名になりました名古屋城が見えて参りました。名古屋城の右横近くには大相撲名古屋場所が行われますドルフィンズアリーナがごさいます。
また、時計搭のある建物が名古屋市役所、その右横お城の様な屋根のあがっている建物は愛知県庁でございます ※に続く
(県庁は工事中)
(名古屋城天守閣は工事で見る事は出来ません 令和5年12月)
※愛知県庁と名古屋城の奥に建中寺(けんちゅうじ)、徳川園 や 中日ドラゴンズ のホームグランドバンテリンドーム等がございます
その右奥、鉛筆のような形の建物がご覧いただけますが東山スカイタワー(高さ134m)で、麓には イケメンゴリラのシャバーニやコアラ、ジャガーのマヤで有名な東山動物園がございます。
また、その奥、尾張旭市(おわりあさひし)の東側に瀬戸市がございます。
将棋でお馴染み藤井聡太(フジイ ソウタ)さんの出身地でございます。
瀬戸市の隣、日進市(ニッシンシ)には足王社(あしおうしゃ)がございます足腰(アシコシ)の神様でサッカー神社とも呼ばれ、日本代表のエンブレム(ブレザーの胸や、自動車などにつける紋章モンショウ)の入った御守(オマモリ)、絵馬(エマ)が授与(ジュヨ)され、全国からサポーターも参拝に来られます。
近くにはトヨタ自動車や紅葉(モミジ)の名所、足助香嵐渓(アスケ コウランケイ)でお馴染みの豊田市
その奥に大河ドラマ「どうする家康」で話題を呼びました徳川家康の生誕地(せいたんち)岡崎の町、
みかんやラグーナテンボスで知られます蒲郡(ガマゴオリ)
その奥、静岡よりに、豊川稲荷(トヨカワ イナリ)で有名な豊川市や声の仏法僧(ブッポウソウ)コノハズクがこ生息する鳳来寺山(ホウライジサン)のある新城(シンシロ)の町がございます
#豊国神社の大鳥居 h24m
参考までに写真を入れました。
名古屋城から左奥、中村の町は、豊臣秀吉の生まれ故郷(コキョウ)として知られ、高さ24mの大鳥居(オオトリイ)や豊臣秀吉をお祭りする豊国(とよくに)神社があり、神社のすぐ隣の妙行寺(ミョウギョウジ)は加藤清正(カトウ キヨマサ)の生誕地として知られています
また、市内、中川区荒子観音寺(アラコカンノンジ)の近く、速念寺(ソクネンジ=浄土真宗)は前田利家(マエダトシイエ)の生誕地として、名古屋市の近く、あま市は福島正則(フクシマ マサノリ)蜂須賀正勝(ハチスカマサカツ)が、清洲城の近くから池田輝政(イケダテルマサ)、西春ICの近くは、浅野長政(アサノナガマサ)の生誕地として知られています。
清州IC(キヨスインターチェンジ)から清州(キヨス)JCT(ジャンクション)の左手には 織田家の本家、信長の出世(シュッセ)の城「清洲城」や「キリンビール名古屋工場」「あいち朝日遺跡ミュージアム」などがございます!
参考
名古屋城
名古屋城は、徳川家康がその子9男、義直(ヨシナオ)のために築いたもので慶長(ケイチョウ)17年(1612)に完成しております。
工事の総奉行には、加藤清正(カトウ キヨマサ) 、福島正則(フクシマ マサノリ)があたり、 その他、北国(ホッコク)西国(サイゴク)20名の外様(トザマ)大名が工事を分担し、当時の技術の粋(スイ)を集めて作られました。
御三家(ゴサンケ)の筆頭(ヒットウ)尾張徳川61万9000石のお城として栄えましたが、残念なことに昭和20年5月14日 戦災のため、ほとんどの建物が焼けてしまいました 。
現在のお城は、昭和34年10月に工費6億4千万円をかけて 再建されております。
ちなみに、名古屋城は石垣の耐震性の問題で天守閣内部に入る事が出来ず、外から眺めて頂くのみになっています。
月山松とは、名古屋城の木造天守復元に使用する予定の松で、大谷選手の故郷である岩手県奥州市(オウシュウシ)の月山神社が保有する境内の山林で伐採されたものです。推定樹齢は350~400年、直径は約80cm、大谷選手には、伐採した松の根本部分の輪切り材にサインを頂きました。
令和5年3月、WBCが開催されるにあたり3月3日、4日、名古屋では、バンテリンドーム名古屋でWBCの侍ジャパンと中日ドラゴンズとの一戦が行われた時、名古屋の河村市長が、大谷翔平選手にお願いしてサインを書いていただいたものです。
月山松の切り株は、本丸御殿で見ることが出来ます。
令和6年4月2日訂正
参考
名古屋名物 といえば 「名古屋めし」が有名で、ひつまぶし、味噌煮込みうどん、名古屋コーチン、手羽先(テバサキ)、どて煮、あんかけスパ、天むす、きしめん等がございます。
名古屋土産=ゆかり、青柳(アオヤギ)ういろうひとくち、大須ういろないろう、両口屋是清(リョウグチヤコレキヨ)の千なり、藤井聡太さんでお馴染み、ぴよりんなど
伝統工芸品=有松(アリマツ)・鳴海絞(ナルミシボリ、常滑焼(トコナメヤキ)、七宝焼(シッポウヤキ)
清洲JCT(キヨスジャンクション)
名古屋高速と名古屋第二環状自動車道の分岐点
※現地で見た清洲城です
清洲城(キヨスジョウ)
名古屋から清洲JCを通過する時、左奥に清洲城がご覧頂けます。
分からない時は、左奧に清洲城がございます。
清洲城は・・・
清洲城(キヨスジョウ)は、織田信長(オダノブナガ)の父、信秀(ノブヒデ)の居城(キョジョウ)で信長が、桶狭間の戦い(オケハザマノタタカイ)の際に、この清洲城から出陣(シュツジン)したことから、天下取(テンカト)りの出発点として知られた所でございます。
信長が亡くなった後に行われました織田家の今後についての話し合い「清洲会議=キヨスカイギ」の舞台となった場所としても有名です。
現在の清洲城は、平成元年(1989)に建てられた城で(3層4階建て)、織田信長を始め清須ゆかりの武将や清須の歴史を趣向(シュコウ)を 凝(コ)らした展示で紹介しています。
清洲古城跡公園
(キヨスコジョウアトコウエン)
清須城本丸跡(ホンマルアト)が、現在の公園になっていて、2基(ニキ)の石碑や信長公をお祭りするお社があり、毎年、 6月2日の信長公の命日には この社前(シャゼン)で 織田信長公顕彰祭(ケンショウサイ) が行われております。
信長と言えば、戦国時代に天下統一を目指した戦国武将、豊臣秀吉、徳川家康と共に三英傑(サンエイケツ)の1人として有名で
「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
因みに、豊臣秀吉は
「鳴かぬなら 泣かせて見せよう
ホトトギス」
徳川家康は
「鳴かぬなら 鳴くまで待とう
ホトトギス」
の言葉で知られています。
お客様に「歴史の好きな方、おみえでしたら
・天下統一をしたのは誰ですか
三大武将が天下統一を目指した理由
・信長がしたこと簡単に教えて
・秀吉がしたこと簡単に教えて
・家康がしたこと簡単に教えて
・信長公居城連携協議会
・誤解だらけの織田信長
・鳴かぬなら殺してしまえホトトギス・・・とはどういう意味ですか?
など検索して頂きますと、結構、退屈しのぎになります。
検索して見ては如何でしょうか?
参考
勝幡城(ショバタジョウ)
愛知県稲沢市(イナザワシ)と愛西市(アイサイシ)にまたがる地域にあったとされる城で、現在の愛西市勝幡町(アイサイシ ショバタチョウ)と稲沢市平和町六輪字城之内(イナザワシ ヘイワチョウ ロクワ アザシロノウチ)付近で、信長が生まれています。
※春日(はるひ) IC
西春ICを通過いたします。
右手、少し入ったところに、豊臣秀吉の五奉行(ゴブギョウ)の1人、浅野長政生誕地(アサノナガマサ セイタンチ)、曹洞宗(ソウトウシュウ)の霊松寺(レイショウジ)がございます。
※ 一宮西春 IC
※ 一宮 IC
参考
天気がよいと、右奥、中央アルプスの恵那山方向、下に、小牧城のある小牧山が見えます。
参考
名古屋市内の名所
建中寺(ケンチュウジ)
建中寺は、1650年に逝去(セイキョ)した徳川家康の9番目の息子、尾張藩主義直の菩提(ボダイ)を弔(トムラ)うためのお寺として、第二代尾張藩主徳川光友(ミツトモ)により建立されました。
現在も約1万坪の敷地を誇る広い境内ですが実際は5万坪の広さがあったと言われています。
多くの建物が、愛知県指定文化財、名古屋市指定文化財、文化登録文化財などの指定を受けています。
徳川園(トクガワエン)
徳川園は、愛知県名古屋市にある日本庭園です。
総面積2.3haに及ぶ池泉回遊式(チセンカイユウシキ)の庭園で、高低差(コウテイサ)のある地形に林を配(ハイ)しています。
立体的に迫(セマ)る大きな岩組みや配置された山、大曽根(オオゾネ)の瀧(タキ)虎の尾、龍仙湖(リュウセンコ)、牡丹園(ボタンエン)、菖蒲田(ショウブダ)は、木曽山脈自然の風景、景観が凝縮(ギョウシュク)された日本庭園です。
徳川御三家筆頭(トクガワゴサンケヒトウ)である、尾張藩二代藩主光友が、元禄(ゲンロク)8年(1695年)に自らの造営による隠居所(インキョショ)である大曽根屋敷(オオゾネヤシキ)に移り住んだことを起源(キゲン)としています
明治維新後は、藩の所有から民間に払い下げられ、その後はさまざまな用途に使われてきました。1996年には、国の名勝に指定されました。
徳川園は、四季折々の花々や紅葉(コウヨウ)、冬の雪景色など、一年を通して楽しめる庭園です。また、春と秋にはライトアップが行われ、幻想的(ゲンソウテキ)な雰囲気(フンイキ)を楽しむことができます。
乗鞍岳(ノリクラダケ)
乗鞍岳は、飛騨(ヒダ山脈南部の長野県松本市と岐阜県高山市にまたがる
剣ヶ剣(ケンガミネ)を主峰(シュホウ)とする山々の総称の事です。
山頂部の権現池火口(ゴンゲンイケカコウ)の外輪山(ガイリンザン)に位置する最高峰の剣ヶ峰、朝日岳(アサヒダケ)などの8峰(ハチミネ)を含め、摩利支天岳(マリシテンダケ)、富士見岳(フジミダケ)など23の峰(ミネ)があり、高山市奥飛騨温泉郷(オクヒダオンセンキョウ)、高山市丹生川町(ニュウカワチョウ)、高山市朝日町(アサヒチョウ)、高山市高根町(タカネチョウ)、長野県松本市安曇(アヅミノ)にまたがる広大(コウダイ)な裾野(スソノ)をもちます。
猿投山(サナゲヤマ)
猿投山(サナゲヤマ)は豊田市と瀬戸市にまたがる標高629mの山。麓にある猿投神社の本社(ホンシャ)山中の東の宮と西の宮は「猿投三社大明神=サナゲ
サンジャ ダイミョウジン」と呼ばれ、古くから霊山(レイザン)として崇(アガ)められています。
また、白山(ハクサン)や御嶽山(オンタケサン)を遠望できる猿投山山頂、御舟石(オフネイシ)などの巨岩巨石(キョガンキョセキ)、トロミル水車(スイシャ)など見どころも沢山あり、東海自然歩道として登山道や駐車場も整備され、登山初心者やファミリーも気軽にハイキングを楽しめる人気スポットとして知られています。
猿投山(サナゲヤマ)の由来
その昔、景行(ケイコウ)天皇が伊勢に行幸(ギョウコウ)した際、可愛がっていた猿が不祥事を起こしたので、伊勢の海に投げ込んだところ、鷲取山(ワシトリヤマ)に逃げ込み、そのことから「猿投山」という名前がついたとか、
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の東征(トウセイ)の際、三河国(ミカワノクニ)から武士が従って功績を挙げたが、あとで聞いてみると、それは猿投山に逃げ込んだ猿であったとかいわれています。
名神高速道路の続きは②~⑦と作成してありますので宜しくお願い致します。