我ら!森組3年8組・・その2
そんなわけで、森敏之先生を囲んでの同窓会「高知高校三年八組」は
ひとりずつの近況報告を経て・・森先生のお話です・・
その前に我が3年8組はどんなクラスだったか・・少しご紹介しましょう。
その時は1学年10クラスもあって・・そう・・ベビーブームの僕たちだったのです。
そんなわけで、奇数クラス(1組は進学クラス)が男女・・偶数が男子だけ・・
ですから8組は54名の男子クラスでした・・
それも・・なかなかのやんちゃ坊主集団・・野球部・柔道部・剣道部・バレーボール部に応援部
そしてサッカー部・・そう言えば文化部はいなかったですね・・
授業が始まるまえにアルミ弁当は空っぽ・・カンニングは友達思いのアイウエオの
成績順に右後ろにたらす・・そんなわけでですから・・みやもと・・むらた・・は
悪いわけ・・・・でも・・そんななかわたなべは席順はピりでしたが・・
なんと大学は早稲田(後で紹介)を卒業・・
2016年4月卒業50年記念同窓会
*孫にかんにんぐなどの話を自慢げにせんとってねと娘たちに言われます。
カンニングは、決してフェアープレイでないこともわかっていますが
でも・・集まれば必ず出てきくる楽しいおもいで話・・
如何ものは如何と・・教えることを忘れなければ・・ね・・
そんなこんなで、なんと言っても歴史を作ったのが・・
8組だけの運動会です・・
その当時・・高知中高とも運動会はなく・・体育際がありました。
そんなわけで、はたやま・はしずめ両君の企画で運動会を
開いたのです・・めっちゃ学園内は話題になり・・
他のクラスもまねこしたのですが・・いま一つ盛り上がらなかったと聞いています。
その運動家にて・・
森先生の奥様と・・お腹には長女さんがに・・びっくりです・・
そんなこんなで・・主任の森先生が25,6の時・・
今思えば・・やんちゃ坊主をよく育て大きく・・それなりに社会でお役に立つ
大人にしてくれたもんんだなあ~と今日会計報告に来てくれたたけむらが
言ったのです・・まっこと感謝しかありません・・ですから・・みなが
先生に逢いたくなるのです・・
ある日のたけむらと・・↓
そんなこんなで・・森先生のスピーチから・・
今でもある三者面談のはなしから・・
その当時は・・父兄との面談は、余程のことがない限りなかったとおもいます。
歯医者のくぼ先生は・・八十八カ所でも有名なお寺さんが実家・・
そんなわけで、おやじさんからお寺を継ぐようにと
幼いときから言われていたそうで、本人もそのつもりで三者面談に・・
森先生から・・それで本当にいいの、と・・
「大学へと・・」進められ歯科大学に・・そのおかげで僕をはじめたけむら他
友人たちはいつまでもくぼにはお世話になって助かっているのです。
だってもし彼が住職だったたら最終章のときだもんね・・
ですから、森先生には大感謝です・・
そしてつづきます・・
高3になっての三者面談は、進路問題・・
(実は、ボクはその記憶がないのですが・・
と、言うよりも夏休みの終わりごろ学年で1番先に中京大学に
推薦合格だったのでかも知れません・・?
それより卒業が先・・?だったかも・・
「いやあ~あのときは参ったよ・・みなさん誇大妄想で・・
京大を受けたいって子がいてね・・」
「え!・・先生!・・そんな子がいましたか・・?」
は、たけむらくん・・(僕ではない・・だれだろう?って見つめ合っての大笑いです。)
「その誇大妄想のおかげで、みなさんはりっぱになっておられますよ・・」
で、またまた大笑いで・・お時間となりました。
先生は、昔から・・ジョークに富んでいて・・小冊子なども作ったりしていました。
そんなわけで、最近のでしょうか・・?紹介させて頂きます。
最後に一言・・
「みなちょっと聞いてくれる・・?
前に、みやもとは先生の棺桶はボクが担ぐ・・と言ってくれてね・・
それは、うれしいけど・・静かに頼むぞ!と言ったことがある・・」
そんなこんなの・・大笑いの連続に・・
たけむらくんのひと言・・
「おい!みやもと・・そんなに言いよっても我々が先かわからんぞ・・!!」
「先生!・・順番でお願いしますね!」
に、三度の大笑い・・ついつい鼻をかむのも忘れていました・・アイタタ・・!!
いつだったかな?
つづく
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