今日嬉しい事があった。あれは多分奇跡だと思う。
運転中、いつものように激しい哀しみが襲ってきた私は、大声で泣き、そして大声で息子へと語りかけていた。
いい加減、声聞かせてよ、存在してるって合図をしてよ、お願いだから、と。
だがいつも通り、どんなに耳を澄ましても、何も聞こえないし、ましてや存在してる、なんていう合図を感じることもない。いつもそうだ。亡くなって3週間になろうというのに、息子は夢枕にも立たない。
遂に私の哀しみは怒りへと変わり、いい加減何か言いなさいよ!と叫んでいた。これもいつもの事である。
対向車からすれば、すごい剣幕の女が、なんだかぎゃーぎゃー独り言を言っているぞ、と奇妙に映るだろう。がしかし車の中が一番、自分の感情を吐き出せる場所なのである。
そして涙も枯れ果てた頃、私は息子を試してみようと思い付いた。そしてこんな事を宙に向かって言ってみる。
蓮、聞こえてる?
目の前に雲が浮かんでいるよね?
もしあんたが今でもちゃんと存在しているのなら、あの雲を彩雲に変えてみて!
と。
無茶苦茶だろうが構わない。車の中である。誰も聞いちゃいない。
彩雲とは、雲が虹色に染まる現象で、私と息子はドライブしながらそれを見つけると、わあーラッキー!などと騒いだものだった。非常に稀という訳ではないが、空が澄み渡る程美しい時に、たまにお目にかかれる。
そして目の前の雲をじっと凝視する。
さあ蓮、あんたが今自由自在なら、出来るはずよ、さあ、彩雲を見せて!さあ、早く!
恐ろしい剣幕でまくし立てる。
その情熱的な説教とは裏腹に、ぽっかりと浮かんだ大きな雲はゆっくりと、知らん顔して通り過ぎて行ってしまった。
けっ!できんのかい!て言うか存在しとらんのかい!と舌打ちをする。霊界に対して非常に失礼だ。息子はあの世で、この無礼な母を恥じているだろうか。
がっかりした私はコンビニへとより、ざる蕎麦を買って外へ出た。そして胸の内て思った。あんな事言わなきゃ良かった。死んだらもう終わりなのかな、と。
車に乗り、ふと前を見ると、再び雲が現れていた。何だか妙に美しい。形が普通と違う。シュッとしている。え?もしかしてコレ?!
ちょ、ちょっと待って!と私は慌ててハンドルを握り、その雲がしっかり見える場所へと移動した。そしてざる蕎麦を開け、さあ蓮、お願いね、と言いズルズルと食べ始めた。
何だかさっきとは違う。凝視する間もなく、その雲は異様な白さを見せ付けながら、少しずつかたちを変えてゆく。
その限りない白さは益々透明度を増し、徐々にその縁が紫色になったかと思うと、かすかな虹色を発光し始めた。
出たっ!私はざる蕎麦をすするのを止め、その雲に釘付けになった。
蓮居るね、蓮、ちゃんと居るんだね、疑ってごめんね、ありがとう、そっか、そうなんだ、そうなんだね、ただ、その大きな納得は、私に最大の安堵感をもたらした。
そばを食べ終わる頃には、その雲は何故か小さくなり、あっという間に消えてしまった。それもちょっと珍しいかも知れない。
今日の出来事を振り返ってみると、最初の雲は何も起きなかった。そして2度目の雲が彩雲になった。何だか、慣れない力を、息子なりに頑張って、2度目でようやく成功させた感がまた何ともいじらしい。おかげで母は今日とても有頂天である。これでしばらくは大丈夫だろう。
蓮、
ありがとうね。
母はまた彩雲を見つけるよ。
きっとまた
蓮を見つけるよ。

