フラクタル現象学では「夢の中に階層がある」という話を
少し昔の映画『インセプション』で学びます。
そのなかにディカプリオ演じる主人公の元妻が
ことぞという大事な場面や主人公の心がぐらっと揺れる時に
ふらっと現れて主人公を邪魔するんです。
で、一色先生が
「意識の世界はね、本当にモルみたいなインナーチャイルドがしゃらっと現れて
ねえねえって邪魔しにくるんですよ。でも意識を統一させて現実化を促進させるには
モルをぶっ殺さないといけないんです」
と仰っていました。
当時は「ふーんそうなんだ」くらいの理解だったんですが、
最近は本当にその通りだなと思います。
表層意識の自分が夢主ならば、その足を引っ張るインナーチャイルドはぶっ殺さないといけません。
それができないのは心のなかにインナーチャイルドがかわいそうとか思ってしまう遊びがあるからです。
親が子供を叱る時に罪悪感で苦しくなるのと同じように
自分の被害者意識がすっきり解消されていないと「ぶっ殺すなんて出来ません!」
となってしまいます。インナーチャイルドの影に負けてしまうのです。
普通の人はいいことと悪いことの区別すら曖昧なのでモルが見抜けません。
脳の回路がしっかりと通って整合性がとれないうちは
モルが野放し状態でも構わないし、そもそもモルがいることにすら気づきません。
そして自分の現状において、モルがいた方がメリット(大抵はチャイルドの勘違いですが)
を得られると感じているときには、そのメリットを手放したくないのでモルを殺しません。
でも脳の回路が整ってくると「これはモルだ!」と気づくことが出来始めます。
そのモルを殺さず見逃し野放しにしていると本当に叶えたいことへのエネルギーが分散します。
脳の回路にそぐわない深層意識はきっぱりと断ち切っていかないと
望む現実をうまく叶えていくことが出来ないのです。

映画『風立ちぬ』も主人公と若い奥さんが出てくるんですが
その奥さんは結核だかなんだかで病弱で今にも死にそうなんですが
夫の二郎さんのことがものすごく好きで、夫が零戦の開発で必死な時に
療養所を勝手に抜け出したり、夫が設計図描いてる忙しい時に「眠れないの」とかいって
夫の机の横に布団敷いて手をつないでもらうんですね。世界最高峰の飛行機を設計するという
国家一大プロジェクトを担う夫に甘える、かわいい(?)病弱な奥さんなんですが
うざいですよね?
でも主人公の二郎君はかわいい奥さんと純愛を貫くという人生の一瞬の甘い夢を享受するんですね。
結局奥さんは死ぬんですが、二郎君は奥さんがいらなかったんですね(^_^;)
「いやいやなほこさんのくだりいらなくね?仕事に情熱かける男の話でよくね?」と
私や私の周りの女子にはさっぱり不可解な映画で全然おもしろくなかったんですけど
泣けたとか男のロマンだとか言ってる男友達もいましたね。
女子は病弱な奥様の意図を見抜き、男子はかよわいなほこさんを守ろうとする。
(自分より弱い立場のものを守ろうとすることで偽の達成感が安易に得られる)
でも「なほこさんがブスだったら?元気いっぱいの肝っ玉母ちゃんだったら…??」
とか考えちゃったりして、これは結局不幸を美化したお話なんだねとなると
TAW学ぶとほんとに小説とかおもしろくなくなっちゃいますね(笑)








ちなみにユーミンの『風立ちぬ』の主題歌は自殺した若者の歌なんだそうな。
恐ろしいですね!(^_^;)