こんにちわ

ユミですニコニコ



いつもブログにお越しくださり

本当にありがとうございます



前回のブログでは

この外の社会で認められる

ために、どうして奔走してしまうのか?

ここの根っこは、両親との関係にあると


今日はその続きを書きたいと思います




前回のブログはこちら



両親の仲は、物心つく頃には
いつも険悪な状態で、お金のことでケンカが
絶えませんでした


もちろん父親の母親に対するDV的なことも
ありました


その頃の幼い私は
お利口にして人から褒められるようにしたら
両親から、正確には
母親から認められると
母親から注目されると
思い込みました


逆に
お利口じゃなければ、認められない
とも思い込んでいたのです


何かいつも社会のために役に立って
何者かになったら、認められると思っていたのは
こんな両親からの影響も少なからずありました


特に母親から認められたい
注目されたい、理解されたいと
渇望していたのかもしれません


もちろん社会的背景も
ものすごく絡んでいます


成果や結果を出すこと
短時間で効果的に結果を出すこと
これらの事は
世の中に求められる文化風潮として
根強く刻まれていると思います


でも時代が変わってきました


個人的には権威ある人やものの下に入ること
権威あるものと同じようになれたら
自分の幸せはそこにあると考えていた時期も
ずいぶん長かったです


しかし
魂やスピリットに焦点を当てると
この権威あるものやことの下に入り
自身の魂の尊厳を忘れてしまうことは
私にとっては自分らしくなかったことなのです




先日ふと気づいたことがあります照れ


私は今まで憧れの方や先に成功されていると
感じる方に対して
こちらが勝手にジャッジしている


ものすごく緊張してオドオド
してしまっていました


これは、、、
自分は劣っていると比較しては、勝手にその人の下に入り、自分らしくいられなかった状態でした


初めて憧れの方にお会いした時は
目も合わせられないほど緊張していたんですが


先日は違ったんです
変な気負いもなく、ありのままの自分で普通にお話することができていました


これはあえて意識してそうしたわけではなく


この権威あるものやことの下に入り
自身の魂の尊厳を忘れてしまうことは私にとっては自分らしくなかったこと


ここに気づいて、行動が変わったんだと思います



なので、自分らしくない時って
もしかして権威あるものの
言う通りにしてるのかもしれない



自分の本音は異なるけれど
その通りにしなければ
ダメだと思い込んで



ちなみに
私が権威あるものとして捉えがちなのが
いわゆる成功者と感じる人であったり
その世界で有名であったり
その世界で上手くいってる人であったりします



ここは人によって親であったり
ご主人であったり、学校であったりするかも
しれません



この時代になって
『私は私が感じたことを表現していきたい』
ハラから思う今日この頃です照れ




今日も最後までお読み頂き
ありがとうございます