【感受性の強み】
私の使い方は親切でも
理解があるものでもなかった。

今日、娘と話をしていて
「やりたいことに制限を
かけられるとすごく腹が立つ」

これは、
娘自身に対してだけでなく
他人に対してもそうなんだそうだ

例えば
母の私がやろうとしていることを
父である旦那さんが制限(ダメ出し)を
すると腹が立つ。

という具合。






彼女が小さい頃に
なんだかんだと口出しをしていた。
(無意識に)

きっと
危ないだの、まだ無理だの
いっていたんだろうなぁ〜

ある日
「なんで!いつもいつも
わたしのやりたいことにダメって
いうの!!!」って

顔真っ赤にして怒ってきた。

「ダメ」なんいってないと思ってたし
制限しているとも思っていなかった。

あらゆる想定をして
失敗しないように、上手くいくように
今の彼女にとってどうなのかを
判断している。と思っていたから

むしろ親切にしているのに
キレられた!とも思った。

それ以上に
顔を真っ赤にして怒る娘が
可愛らしかった。





それ以来
「やってみたらいいんじゃない!」
というようになった。

なんとなく察したり
なんとなしにして欲しそうな
ことがわかったりする。
【感受性の強み】

子供の頃は時々気持ち悪がられた
見透かされているような
見抜かれているような感じが
嫌がられたんだろう。

さらに
説明ができないということが
気持ち悪さに輪をかけた。

説明のしようがないから
しかたがない。

「なんか、わかったんだもん」
「なんか、そんな感じだったもん」






だから時々
言われてもないのに
「そうだ」としてしまって
行動しはじめてしまうことがある。

今日もそんなようなことがあって
「そうだ」と私は思ったけれども
実はそうでなかったのかもしれない!

「そうだ」と勝手に察したけれども
それは必要ではないことだったのかも
しれない。

結局は「そうだ」はそうだったの
だけれども

これからは
察してはいけないなぁ〜と思った。






自分がどうしたいのか
自分がどうしていきたいのか

こんなにも大切なことを
察してはいけない。

察してしまったとしても

相手が自覚している
それを求めている。ことを
本人がわかっていなければ

余計な時間と労力ができてしまう。

ちっとも親切でも
理解があるのでもなかった。

ということが
わかってしまった。