先日、松田聖子さんのコンサートに行ったと書いたのだけど、
今回は、なぜ聖子ちゃんがずっと輝き続け人気があるのかを書いていきたいと思う。
私も10年以上前に聖子ちゃんの80年代の動画を見たときに
愛らしさと圧倒的な歌唱力、そして目を離せない引き込まれる魅力にすぐにファンになった。
1980年、18歳でデビューしてすぐに人気スターとなり、
57歳の現在も日本武道館を満席にし、毎年行われるディナーショーも超高額にもかかわらず即完売になる彼女の秘密は何なのか。
松田聖子こと、本名 蒲池法子(かまちのりこ)
九州の福岡県久留米出身でお嬢様育ちの彼女だけど、
彼女は自分で自分の人生を切り開いている。
(デビューしてすぐの頃)
歌手になりたいとう気持ちと、
優勝商品のアメリカのディズニーランドに行きたいとう気持ちと、
毎回コンサートに行くほど大ファンだった郷ひろみが全国大会の審査員をしている、
という理由で
両親には内緒でコンテストに応募し、
コンテスト当日は「歌手に会いに行く」と嘘をつき親に会場まで送ってもらっている。
親は法子と別れ買い物に行き、会場に戻ってくると
なんとステージ上で法子が歌っており、法子は九州地区大会で優勝してしまったのだ。
厳格な父親の反対で全国大会は辞退することになったものの、
ステージでの法子の歌声は「絶対に売れる」と制作部に確信されて
何度も法子の父親を説得して、法子はとうとうデビューする。
もし当時、法子が
親には言えないから・・・
親が反対するから・・・
私の学校は禁止だから・・・
(ちなみに法子が通っていた学校は私の高校の先生の母校でもあり、学生の時から目立っていたらしい。そしてその高校も絶対に無理と言われていたのに、あそこに行くと決め、結果合格している)
私には無理だから・・・
なんて考えて諦めていたら、
今の松田聖子はいないし、日本のアイドル、音楽は今とは全く違ったものになったかもしれない。
このエピソードに、親に嘘ついて騙して
なんて思う方ももしかしたらいるかもしれない。
でも、親でさえ子供の人生の責任は取れない。
やっぱり人生は自分のものだから。
自分で自分の人生は切り開いて、
自分が納得できる人生を自分にあげたいと思う。
私も何年か前に上京したいと話した時、親は反対だった。
だからもちろん仕送りもなく、ダンボールだけの家具で半年暮らしていた。
でもその時に自分の気持ちに従って飛び込んだから今の現実があるんだよね。
あんなに反対してボロクソに言っていた親も
「あの時yukaちゃん東京に行って良かったね」
と今は言っている。笑
さて、聖子ちゃんが輝き続ける理由については、
これから数回に分けて書いていきたいと思います。
先日もサロンに来ていただいたお客様が
yukaさんのブログで聖子ちゃんや宝塚に興味が出ました!
なんてお話してくださってとても嬉しかったです♡
最後までお読みくださりありがとうございました。
ではまた♡