H27年11月23日、勤労感謝の日に主人は66歳の生涯を終えましたタラー

息子二人と私に手を握られ静かに逝きました。すごく辛くて悲しくて涙が止まりませんでしたえーん

心肺停止になり意識は戻らないままだったので、苦しくはなかったと思います。

でも何か言いたそうにしていた時に何故文字盤を使うとかして話を聞いてあげなかったのか悔やまれますショボーン

お通夜やお葬式の準備は息子や弟妹達が手伝ってくれたので、私はほとんど主人の側にいる事ができました。3連休でお見舞いに遠方から来てくれている人には申し訳なかったのですが、子供たちが
「オカンの好きなようにしたらいいよ、最後やから」って言ってくれたので、一晩は自宅に連れて帰って仮通夜、次に本通夜(うちは神道なので遷霊祭、通夜祭)、そして25日に葬儀(神道では「神葬祭」と言うのですが)をするようにしました。3連休で来てくれていた人たちは1週間引っ張る事になり申し訳なかったですm(__)m

自宅に連れて帰った日は、一緒に横になって寝ました。ドライアイスを頭の横とお腹に置いていたので、主人の横に寝るとスゴく寒くて「お父さん、私を置いて行ってそれだけでも寒いのに体も寒いわガーン!」とか言いながら…。

二日目、お風呂に入れてもらうよう予約しました。葬儀やさんがお迎えに来てくれました。先日に知人がしてもらった、送り人&お風呂の儀式です。湯灌の儀と言うのですが、この時はうちのお父さんはお風呂が好きだったからオプションでお風呂に入れてもらう…って思っていて、儀式だから皆で一緒に洗ってあげて見守らなければならないもの…とは思っていず、ほんの数人しかいず、私も不在でしたガーン
私は病院の予約が入っていて、直ぐに終わるから…と出掛けてしまったのでした

「お父さん、ほんとごめんね」って言いましたが、皆もそんな事は知らず、湯灌の儀に立ち会った上の子が、「あんな儀式ってわかってたら皆でおったのにな~オカンにも見て欲しかったわ」ってアセアセ
主人の時に後悔したので、知人の時は立ち会い、儀式だよって伝えました。

主人は結構多趣味な人で、晩年は「モデルガン銃」が好きで高いオモチャをずいぶん買っていました。刀ナイフも好きで集めていたり空手もしていて師範として教えていたりもしたので、大会の時の写真を引き伸ばして飾っていたり…なので、式場にミニ特設コーナーを設けて、主人の好きなものを皆にも見てもらい偲んで頂こうと思いました。大成功ダルマで空手の教え子や、その親御さん、モデルガンの趣味友、知人がその特設コーナーでそれぞれの思い出を語ってくれました。明るい楽しい人だったので多くの弔問客の方々が弔問に来て下さいました。

斎場に行き、棺を火葬炉に納棺するとき、棺の上に置いた花が引っ掛かって入りませんでした。下の子が「親父、嫌がってるわ!」って。私もそう思いましたえー
棺に向かって「お父さん、ありがとう」って言いました。結婚して30年、色んな意味のありがとう…笑い泣き

色んな事があったけど、いいことしか思い出せない、ずるいなぁ…って思う。
存在感のある、心優しい人でしたラブラブ

こうして怒涛のH27年11月は過ぎていきます。主人の通夜祭の日病院で入院予約をしたので、それまでに色々な事務手続き等をしなければ…
年内は入院、年明けには抗がん剤でダウンしているかも知れないし。何より主人の50日祭(仏式の49日)の準備もしなければなりませんし…悲しむ余裕もなく一人で香典返しの準備、リスト作成、神徒壇(仏式の仏壇)の手配、50日祭の式場、料理、偲び草(仏式の粗供養)手配、本当に病み上がり(まだ、病み上がってなかったけど)なのに忙しかった。
そうそう、入院準備もありました。

そうしてH27年12月9日、抗がん剤ファーストラインの為入院します病院