H27年11月13日(金)
母が胃癌の内視鏡手術の為に入院しました。
主人が倒れてからは、私は自宅の方が主人の病院に近いので、実家ではなく、自宅に戻っていました。なので妹に母を連れていってもらい私も自宅から向かいました。母は私の主人の事を心配して、自分のオペを見合わせると言いましたが、年を越したら開腹術になると以前に言われていたので、予定通りに入院してもらいました。
胃癌と言っても、特に胃が痛いと言うわけでもなかったので、何もすることがないから退屈だと呑気な事を言っていましたね♪
主人はと言えば、苦しがるからと言って、ずっと意識を落としていましたが、この日位から血液検査の結果が良くなっていきました
翌週の月曜日がオペでしたが、問題なく終了し、主人も管だらけだったのが2~3日かけて人工透析やら、呼吸器やらが外れて17日には喋れないものの、私の言っている事は分かる位に回復していきました
前回にも書きましたが、GICUは、家族でも12時と19時の各1時間しか会えません。
息子達も時間が合えば来てくれていましたが、17日の夜は私1人でした。苦しそうに息をしていて話す事は難しそうでした
私「お父さん、しんどいやろうけど頑張ってね♪血液検査の結果も大分良くなってきたよ!死なないからね!」
主人「・・・」悲しそうな顔をして首を横に…。
私「えっ?頑張れないの?」
主人「・・・」コクンって頷く…。
何て言って良いのか言葉がなく黙ってしまいました
この日から意識は有りましたが、入れ歯も外しているし、呼吸するので精一杯みたいな感じで会話は出来ませんでした。
母は内視鏡のオペだったので、少し痛いのと食事制限があるくらいで元気だし、主人も少しずつ回復して19日には2日前から始めているリハビリでベッドに座るまでになりました支えがないとダメですが…
20日(金)にはGICUを出て、個室の一般病棟に
ドクターに「もう大丈夫ですよね?」
と聞くと、「良い方向に来ていると思いますよ。」と言ってくれました
私もリハビリの先生から、せっかくリハビリ始めたのに、明日から3連休になるから奥さんが少しずつするように…と教わりました。
この日には母の介護認定の調査を以前から依頼しており、病室に役所の認定員が来られて調査があったのですが、主人もこの状態なら今、区分変更の調査をしてもらって、要支援から要介護にしてもらわないと大変!
と思いケアマネに翌週の24日に来てもらうように手配をしました。
次の日21日(土)には私もリハビリの先生に教えてもらったようにしましたが、主人は熱も38度近く有り、しんどそうでやる気は無さげで全然力が入っていませんでした。
私の顔を見て何か言っているのですが、全く分かりません
私「お父さん、もう少しの辛抱よ。あと2日で食べるリハビリが出来れば、歯を入れてあげるから話せるからね!」
主人は納得したような顔をしていました。
3連休と言うことで、私の弟や妹の家族や他の親戚達も来てくれて賑やかな土曜日でした。主人がとても可愛がっていた妹の末子の男の子も来てくれて、喋れない主人は精一杯の笑顔で対応していました。
病院の面会時間の午後8時近くなったので、又明日ね、と病室をあとにし、私は自宅に皆は実家にと帰って行きました。
私はその晩はなかなか寝付けずにお布団でゴロゴロしていました。
夜中の2時、きょうびほとんど使わない固定電話が鳴りました…
母が胃癌の内視鏡手術の為に入院しました。
主人が倒れてからは、私は自宅の方が主人の病院に近いので、実家ではなく、自宅に戻っていました。なので妹に母を連れていってもらい私も自宅から向かいました。母は私の主人の事を心配して、自分のオペを見合わせると言いましたが、年を越したら開腹術になると以前に言われていたので、予定通りに入院してもらいました。
胃癌と言っても、特に胃が痛いと言うわけでもなかったので、何もすることがないから退屈だと呑気な事を言っていましたね♪
主人はと言えば、苦しがるからと言って、ずっと意識を落としていましたが、この日位から血液検査の結果が良くなっていきました
翌週の月曜日がオペでしたが、問題なく終了し、主人も管だらけだったのが2~3日かけて人工透析やら、呼吸器やらが外れて17日には喋れないものの、私の言っている事は分かる位に回復していきました
前回にも書きましたが、GICUは、家族でも12時と19時の各1時間しか会えません。
息子達も時間が合えば来てくれていましたが、17日の夜は私1人でした。苦しそうに息をしていて話す事は難しそうでした
私「お父さん、しんどいやろうけど頑張ってね♪血液検査の結果も大分良くなってきたよ!死なないからね!」
主人「・・・」悲しそうな顔をして首を横に…。
私「えっ?頑張れないの?」
主人「・・・」コクンって頷く…。
何て言って良いのか言葉がなく黙ってしまいました
この日から意識は有りましたが、入れ歯も外しているし、呼吸するので精一杯みたいな感じで会話は出来ませんでした。
母は内視鏡のオペだったので、少し痛いのと食事制限があるくらいで元気だし、主人も少しずつ回復して19日には2日前から始めているリハビリでベッドに座るまでになりました支えがないとダメですが…
20日(金)にはGICUを出て、個室の一般病棟に
ドクターに「もう大丈夫ですよね?」
と聞くと、「良い方向に来ていると思いますよ。」と言ってくれました
私もリハビリの先生から、せっかくリハビリ始めたのに、明日から3連休になるから奥さんが少しずつするように…と教わりました。
この日には母の介護認定の調査を以前から依頼しており、病室に役所の認定員が来られて調査があったのですが、主人もこの状態なら今、区分変更の調査をしてもらって、要支援から要介護にしてもらわないと大変!
と思いケアマネに翌週の24日に来てもらうように手配をしました。
次の日21日(土)には私もリハビリの先生に教えてもらったようにしましたが、主人は熱も38度近く有り、しんどそうでやる気は無さげで全然力が入っていませんでした。
私の顔を見て何か言っているのですが、全く分かりません
私「お父さん、もう少しの辛抱よ。あと2日で食べるリハビリが出来れば、歯を入れてあげるから話せるからね!」
主人は納得したような顔をしていました。
3連休と言うことで、私の弟や妹の家族や他の親戚達も来てくれて賑やかな土曜日でした。主人がとても可愛がっていた妹の末子の男の子も来てくれて、喋れない主人は精一杯の笑顔で対応していました。
病院の面会時間の午後8時近くなったので、又明日ね、と病室をあとにし、私は自宅に皆は実家にと帰って行きました。
私はその晩はなかなか寝付けずにお布団でゴロゴロしていました。
夜中の2時、きょうびほとんど使わない固定電話が鳴りました…