主人は危篤状態と言うことで、次の日11日には主人の娘が来てくれました。
これが入院当初に渡された計画書です。



GICUは家族でも面会時間が決まっており、特別の場合を除き12時~と19時~の各1時間となっていました。11日の12時になり、娘や子供達と行くと、娘の顔を見るなり
「俺、死ぬの~??」と気管挿管していても解るくらいの声で言いました。
娘「そんなことなかとよ。倒れた言うけん心配して顔ば見に来たと~」
「そんだけ喋れれば元気ヤネ(*^^*)」
って会話が出来ました。

何か言いたげなので、手のひらに書いてって言うと「水」って…
「お父さん、気管入れてるから今は飲めないよ」って言うと、うなだれていました。

夜19時になり、又行くと、ここからはもう意識もなく眠っていました。昼間あんなに元気そうで良くなるかな♪って思ったのに

次の日12日には抜こうと、呼吸器外科の部長教授より説明を受けるために私自身の病院でした。延期しようかとも思いましたが、どうせ12時まで部屋に入れないし、ホッチキス取らないとピリピリと、痛いのでキャンセルせずに行きました。




又直しておくのを忘れて横向いてしまいました。スミマセンm(__)m

その日は生徒さんが3名、診察室にいました。今までの感じから、生徒さんがいると若干教師モードで優しい物の言い方をされないような感じを受けていたのですが…

教授「ご主人は如何ですか?」
私「今は危篤状態です。」
教授「そうですか、大変ですね。病名ですが、肉腫と混合の小細胞肺癌です。ステージはⅢa、抗がん剤は絶対的にしないといけません。」

以前病期はⅢaと、術後の説明で聞きましたが組織名が変わっている…と思い

私「神経内分泌腫瘍と聞いていましたが違うのですか?小細胞なら手術はしないのではないですかカナヘイ!?
これに対して教授は
「その時は、小細胞って病理で言ってなかったからね。手術で細胞を取って調べたから此方の方が正確です」
私「小細胞ならいつまで生きられるのですか?ネットではロクな事書いてませんが多少なりともメドをつけたいのですが…」

私も白黒ハッキリが好きなタイプなので…

教授「まぁそうですね、ハッキリは言えないけど、目標は2年、薬が効けばもう少し…ですね」

先生に診察のお礼を言って、立ち上がろうとしたときに、生徒さんの一人と目が合いました。慌てて顔を背けられましたが、厳しい事を言われている患者の顔をマジマジと見るなんて、ロクな女医に成らないな!
と、八つ当たり的に思ってしまった事を何故か鮮明に覚えていますショボーン

主人は危篤で明日をも知れぬ身、私は後2年
「神様なんかいない大泣きうさぎ私達、そんなに悪い事はしてない!!
って絶望のドン底に突き落とされた感じで今まで経験したことのない辛さを感じていました。

ドン底の気分のまま、主人の病院に向かいました。10日に救急車で運ばれてから、病室には入れないけど、家にいても落ち着かず1人デイルームで過ごしていたのです。






主人の血液検査の結果です。
見たことも無いほど悪いデータのオンパレードびっくり

そしてその次の日の13日には母の初期胃癌の内視鏡オペの為の入院日でした。