おかしい。
 とっくにズタズタにされているはずなのに、なにもされていない。まだ俺は生きている。
目をあけて周囲を見回した。モンスターの壁はそばまで迫っていたが、なぜか動きを止めて固まっている。いや、固められている、といったほうが正確だろうか。そんな感じを受けた。ウィッチがまた何かしかけたのか、そう思い視線を動かした。
 だがそこにいたのはヤツではなかった。両足の裏をこっちに向けて、人の体―おそらくウィッチ―が倒れていた。そしてその上には、オレンジ色に照らされた獣が乗っかり、しきりに噛み付いていた。
 そしてもう済んだのか、突然獣は顔を上げ、こちらへ視線を移した。

 それは狼だった。ところどころ黒く汚れているが、立派な狼だ。
ヤツは向き直ると立ち上がり、空へ向かって強く、大きく、どこまでも響くように遠吠えをした。それはまるで、勝利を叫ぶようでもあり、また離れた仲間へのメッセージを伝えるようでもあった。
 同時に気付いた。かすかだがモンスター達がうろたえていたのだ。ここから逃げ出そうとしているようだったが、他の個体に邪魔されて、思うように動けないらしい。
遠くからは、狼の吠える声があちこちから聞こえ、猛スピードで近づいていた。高速で移動する 軍団―いや群れだ。
 次の瞬間、囲っていた厚い壁が縦に大きく裂けたかと思ったら、その間から次々と狼達が飛び出てきた。彼らは逃げ惑うゾンビやスケルトンに襲い掛かり、体を引き裂いていった。すばしっこいスパイダーさえも牙の餌食となった。その有様を見て、さらにヤツらは混乱したが、また1体、さらにまた1体と数を減らされた。裂け目は増えて大きくなり、新たな狼達を招き寄せた。
 俺は混乱の真っ只中で、唖然となりながら、ただひざまずいてその光景を見ていた。


 気のせいだと勘違いしそうなほど、あっという間に終わった。
 あちこちにはモンスターの亡骸が散乱し、1体もピクリとも動かなかった。その中には爆死しないで残ったクリーパーも混じっていた。そして俺は矢が刺さったままで、特に傷を受けてはいなかった。火災はさっきよりも勢いが弱まっていた。
 まるで思考がおよばない世界にいれられた気分だった。当然頭では理解できそうもない。だが、まだ生きていることだけは、否定できなかった。痛みを再び感じたからだ。俺は無意識にゆっくりと手を動かし、腹に刺さった矢を抜こうとしたが、すぐにやめた。ここで抜いてしまったら、出血を止める手段がないからかえって危険になると、ぎりぎりで思い立った。頭もようやく元に戻り始めたようだった。
周囲に充満していなかったおかげで、数歩で抜け出すことができた。そこから咄嗟に左に視線を移し、剣を構えた。
 まるで待っていたかのように、その先にはターゲットが突っ立っていた。死人の顔のくせに、まるで余裕ぶっているような雰囲気がする。ヤツも真正面からこちらの姿を捉えているようだが、なぜか顔がゆがんで見える。
 やはり煙幕の影響からは逃れられなかった。しだいにめまいがして、体内から空気が抜けていくように、力がかからなくなった。立つことができなくなり、地面に膝をついた。なんとか倒れないように剣を支えにしたが、すぐに立ち上がることはできそうもない。
 すると突然、硬くてもろい何かが体にあたってはじけ、その直後に服がぬれた。視界がゆがんでいたが、それがポーションであることが分かった。だが煙幕ではないし、炎でもなかった。服や手に、得体の知れない粘り気のある液体がかかっていた。
 ゆがみが少し収まり、俺は剣をつっかえ棒にして立ち上がった。まだまともに歩けそうにもないので、ヤツの次の一手がないことを願った。それが通じたかのように、何もしてこなかったが、役割を交代するかのように、モンスターの声が周囲から聞こえてきた。それはしだいに数も増え、大きくなった。

 その時気付いた。ウィッチが投げたのは、モンスターを引き寄せるためのポーションであると。そして俺自身をヤツらの的にしたことを。
 まだゆがみが完全に直りきっていないまま、周囲を見わたした。すでにモンスター達は壁のように囲いはじめ、じりじりと距離をつめてきている。その間に弓矢があちこちから飛んできて、右肩、背中、腹部、そして左太股に突き刺さった。あまりの痛みに耐えられず、両膝をついてしまう。
 もう、何もできない。そう悟った。
 唯一まともに動く頭は、体の状態と反比例してめまぐるしいスピードで動いていた。あちゃみさんの言葉、星空を見ながら聞いた鳥さんの思い、夕焼けの中話したともさんの言葉、クミさんの願い。そして―ソーラさんの告白。それらが全て駆け抜けていった。「これが走馬灯か」と直後に気付いた。
 だが結局、みんなの想いも、弟として接してくれたクミさんとの「約束」も、守れそうにない。朝日も、夕日も、月も星空も、拝めそうにない。叔父と叔母への誓いも、自分から破いた。ミーシャをかかえて、なでてやることだってできない。
そして一番後悔なのは、ソーラさんの想いを結局無視してしまうことだ。誰かから愛されていることが、こんなにも素晴らしいと教えてくれた、あの想い。それに対して、何一つして上げることはできなかった。それどころか、生きて戻ることさえまともにできない。ただ悲しませるだけだった。
「後悔だけはしたくない」そう言ったはずなのに、結果このザマだ。俺は最低だった。

顔をあげて空を見上げた。星を最後に一目見ようとしたが、まるで失望されて見捨てられたかのように、その姿は見えなかった。
「…ごめん」
そう呟き、俺は天を仰いだまま目を閉じた。


 炎は勢いを増し、村全体が燃えているように見えた。空は暗いままで、夜明けが来る気配もない。
 方向感覚がなくなり、今どこにいるのか、避難所はどこなのか、それさえも分からなくなってしまった。幸いまだ動けるが、このままではいけない。
 俺は細い路地のようなところへと、足を踏み入れた。モンスターの間をすり抜けるのは難しくなるが、条件はヤツらも同じだ。狭い分動きが限られてしまうからだ。進む速さは遅くなってしまったが、ゾンビやスケルトンを斬り倒しながら、周囲を捜索した。
 前方からはまたゾンビが1体向かってくる。ある程度近づくと、ヤツは腕を振り上げた。だがパターンはすでに見切っているため、敵ではない。振り下ろされた腕を軽々とよけ、直後に剣を振って頭部と胴体を斬りはなした。
 その時、前方にゾンビとは異なる人影が見えた。三角の大きな帽子が一番目に付いた。間違いなかった。まるで宝箱を発見したかのような感覚だ。
 ウィッチは俺の姿を確認したのか、サッと小道へとはいり、姿を消した。すかさず俺も後を追った。やつの入った道までたどり着くと、その出口から右へと曲がっていくのが確認できた。ここで逃がすわけにはいかない。
 一気に駆け出し、少しでも間合いを詰めようとした。幸いモンスターはいない。ここを駆け抜ければ、後ろから近づいて仕留める事だってできるかもしれない。
 放置された木材や木箱をよけながら、前へと走った。最後に身長くらいの高さに詰まれた箱のそばを抜け、そこから出口まで何もない残りの道のりへ、足を踏み入れようとした。

 何かが焼け焦げるような音がはっきりと聞こえた。まるで何かを待ちわびるかのように、あるいはカウントダウンするかのように鳴った。反応するかのように足が止まった。その音には聞き覚えがあったのだ。
 後ろに振り返った瞬間、グリーンの物体の中から閃光が飛び出し、直後に暴風が吹き荒れた。積み上げられた箱の死角に、クリーパーが潜んでいたのだ。
 運悪く爆風に巻き込まれ、壁に激突し、そのまま地面に落下した。幸いにも大きなケガはなかったが、あちこちに傷を負っていたために、激しい痛みが体中をはしった。なんとかおさまるまで耐えたが、かなりの時間を要した。
 痛みがしずまると、ふたたび剣をもって走り出した。すぐに出口へと差し掛かったが、今度は左から白い煙が周囲をすばやく覆い始めた。
 すぐに気付いた。これは火災の煙じゃない、と。
 だがもう遅かった。ピンポイントで放たれた煙幕からは逃れられそうもない。俺はこれ以上広がらないうちに、一気に中を駆け抜けた。 

ソ「ちょっと待って!」
 焦りと恐怖を帯びる震えた声で、ソーラさんは言った。
ソ「どうして、どうしてそんなこと言うの。こんな状況でムサシ君一人を戦わせたら、どうなるかわかっているじゃない!」
ク「なら聞くけど」恐ろしいと思ってしまうほど、クミさんは動じていなかった。
ク「ここにずっといて、この状況は変わるの?」
ソ「それは…」
ク「結局ただ終わりを待つだけ。ソーラの想いも、何もかも消え去る。それでいいの」
 ソーラさんはその一言を聞いて、押し黙った。
ク「あなたの想いをうけとってくれたのなら、少しはわかってあげなさい」
 それだけ言うと、「ムサシ」と実の姉のように名前を呼んだ。そして再び、俺の目を見て言った。
ク「一つだけ、約束して」
 「…なんですか」
ク「何があっても、絶対に生き抜いて。そして必ず戻ってきて」
 それを聞いたとき、真っ先に叔父と叔母が浮かんだ。あの時の約束―「生かされたこの命は、絶対に無駄にしない」―、あれは俺が、本心から言い出したものだった。クミさんはあの時、そばで聞いていたのだろうか。
 同時にその言葉は、二人への誓いを思い出させてくれた。
 「約束します」
 そう発すると、クミさんは肯いた。
と「…ここのことは心配いらない。頼んだよ」
 「…行ってきます」
 立ち上がろうとした時、正面から2本の手が伸びてきて、上着をつかんだ。大切なものを絶対に離さないかのように、力をこめて握っていた。
ソ「行かないで…、おねがい」
 顔が下を向いていたけれど、泣いていることが分かった。だがみんなを助けるためには、振りほどいていかなければならない。
 俺は両手で優しくソーラさんの手をつかみ、ゆっくり離した。それ以上抵抗しようとする意思は、もうないようだった。
 「…ごめんなさい。ソーラさん」
 小さく呟いて、俺は立ち上がった。そしてドアへと向かい、前だけを真っ直ぐに見ながら、外への入り口を開けた。

 先ほどよりも、格段に密度は高くなっていた。モンスターの間を抜けるのはさっきよりも厳しいが、それでも最低限戦わないためには、この戦法しかなかった。邪魔なヤツだけ斬り、あとは攻撃をうけそうになってもそのまま通過した。
 腕や顔、腹や背中にいくつもの傷を負った。振り下ろされたゾンビの腕がかすり、時には不意打ちのような形で、避けようもなく受け止めてしまった。スケルトンの矢も容赦なくかすり、スパイダーの体当たりをうけて、何度も転倒した。
 それでも足だけは必死に守った。軽い傷ならまだ問題ないだろうが、深手を負えば移動できなくなる。そうなったら終わりだ。
 いくつもの痛みが走ったが、それでも進み続けた。しかしあたりをくまなく探しても、ウィッチは見当たらない。ガラス片を頼りにすることはできないので、偶然の遭遇に期待するしかない。
 まさか、俺が出てくることを見越して、もうここにはいないのではないか。もしや避難所が―。
余計な想像をしかけたが、すぐに振り払った。

 「バステンさん」
 声が聞こえたようで、本人は顔を上げた。
 「本来の作戦だと、あのウィッチだけ始末すればよかったんですよね」
バ「そうだよ。そうなれば群れを集めることも、火事を起こすこともできなくなる。モンスターはほとんど朝には燃え尽きる」
 それだけ聞くと、小さな決意の炎は、固い信念と結びついて、形を変えて強力な「何か」となった。
 「…俺が行きます」
 元々感じてなかったが、改めて迷いはない。全員が顔を上げてこっちを見た。
と「今…なんて」
 「俺が外に出て、ヤツを倒します。そうすれば皆さんが助かる」
ソ「ふざけないで!」
 いままで聞いたことのない叫びだった。振り返ると、ソーラさんがとてつもない剣幕で俺を見ていた。
 「…ふざけていません」
ソ「十分ふざけてる。どうしていつもいつも、自分から傷つこうとするの。まだ足りないって思っているから?自分が犠牲になることが、その証明になるからなの?」
 後半から段々と声が震え始めていた。
 「そうじゃありません」
ソ「なら一体何なの?私の想いを伝えたはずなのに、あなたはもう忘れたの。だからそんなことが言え―」
 「ちがう!!」
 何があったか、一瞬分からなかった。気付いたら俺は怒鳴っていた。こんな怒号をあげたのは、いつ以来だろうか。ソーラさんは驚いて固まっていた。
 「忘れるわけがない。…あれだけ、必死に伝えてくれた想いを、忘れるわけがないじゃないですか…」
 おかしな勢いはそこで止まった。俺は続けた。
 「ただ…ただ俺は、皆さんに生きてほしいだけです」
鳥「俺もついていくよ。一人だけで頑張らせたくない」
 クミさんの応急手当を終えた鳥さんが、俺のほうを向いて言った。
と「夕方あんなこと言ったけど、しょうがない!わっちも一緒に行く」
ク「二人とも行っちゃだめ」
 やる気を削ぐような形でクミさんが発言した。
鳥「なんで。俺たちだって役に立てるよ」
と「そうだよ。人数が多いほうがいいって」
 二人は反論したが、冷静に返された。
ク「さっきはそうだったかもしれない。でもいまは数が多すぎる。私ならともかく、あなたたち、間を抜けながら斬ることなんてできるの」
と「それは…」
ク「それにケガしたら、余計な手間が掛かる。万が一、二人ともそうなったら意味がない」
 ともさんと鳥さんはそれ以上反論できなかった。クミさんは視線をこちらに移して言った。
ク「一人で行かせてあげるほうが、ずっと可能性がある」
 絶体絶命の状況下でも、一番ありがたいと感じられる言葉だった。

 二人は何か真剣に議論中であるようだったが、突然立ち上がり、こちらへと向かってきた。片膝を床につけてしゃがむと、全員に向かって言った。
と「…覚悟して聞いてほしい」
 重量のある液体を力ずくで搾り出すような声だった。それだけで分かる。
今は絶体絶命な状況であると。
と「このままだと、全員助からないかもしれない」
ク「…どういうこと」
 痛みの表情を浮かべながら、クミさんは尋ねた。
バ「…本来、ウィッチはモンスターだから、夜にしか活動しないと思っていた。作戦でも、夜に現れたウィッチを狙撃することが手はずだった。
 だけどヤツよりも前に群れが現れて、その後に火の手が上った。フェロモンみたいなポーションを使わないと不可能なのに、これだと未使用で呼び寄せたことになる」
ア「じゃあどうやって」
 アイクさんがそう尋ねると、悔しそうな表情でバステンさんは言った。
バ「あのウィッチは、昼間でも活動できるからだ」
 その一言を聞いた時、俺は思い出した。最初に対峙した時も、まだ明るかった。あの時間帯ではモンスターもまだ活動しない。
バ「しかも四方向ぴったりのところから、火の手が上がった。これはヤツがあらかじめ作戦を見切って、配置されたところに的確にやったとしか思えない。
 ヤツは一日中活動できるだけじゃなく、ある程度の知性まである。もっと早く気がつくべきだったのに…」
 バステンさんは頭を抱えた。俺も額に手を当て、自らの鈍感さを悔やんだ。直接やられたはずなのに、ちゃんと気付くべきだったのだ。
鳥「で、でも、ここにいれば問題ないでしょ」
ア「火事だって起こさないし」
 2人がそう言ったが、すぐに否定された。
バ「それはない。ヤツの知性がどれだけか分からないけど、ここを見つけ出したら、扉を開けてくるかもしれない。この狭い空間の中で、ポーションは絶好の道具だ。
 仮にドアをふさいで篭城しても、ヤツはいつまでも待つだろう。かといって無理やり突破することもできない…」
 そこから重い沈黙が流れ、暗い雰囲気が漂い始めた。一言で言うなら「絶望」だ。どうあがいても、助かるための選択肢がないのだ。今まさに死の淵を眺めているように、みんなの表情は悲観にくれていた。
 誰だって、どうしようもない時には、同じ状態になるだろう。


 だけど俺はちがう。いや、違ってしまった。
 こころの中の決意はずっと消えなかった。それどころか細い一筋の光となって、たった一つの―おそらく誰も賛成しない方法を示していた。 
 俺は剣を横に大きく振りかぶり、勢いのまま高く飛び上がった。ソーラさんを飛び越えてヤツの横にさしかかる手前で、剣を振った。
 剣先は首をとらえ、胴体と切り離した。着地から一瞬後おくれて、頭部と体が地面に転がった。
 すぐに剣をしまい、駆け寄った。
 「ソーラさん」
ソ「だめ、歩けない…」
 「大丈夫です。連れて行きます」
 俺は両手でソーラさんを抱え、入り口に向けて走り出した。周囲はほとんどがオレンジ色に照らされ、それに誘われるかのように、ヤツらが集まり始めていた。

 飛び込むように避難所へ入った。入り口ではともさんが待機していたおかげで、すぐに避難できた。
と「ソーラさん、どうしたの!」
ソ「足に矢がささって…」
 俺はすぐにソーラさんをおろした。救護班のアイクさんを呼ぼうと探したが、本人は左腕に包帯を巻いていて、そばにはクミさんと鳥さんがいた。鳥さんに何か指示を出している。
 「ともさん、どういうこと―」
と「今のところ、アイクさんが左腕、クミさんが火傷と左足の捻挫と打撲、バステンさんも額を少し切った。ソーラさんを合わせると、こっちは4人負傷した」
 「そんなに」
と「怪我はない?」
 大まかに腕や足をチェックした。服の左腕が破けて、かすったような傷があったが、それ以外には痛みもなかった。
 「大丈夫です」
 そう答えるとともさんは肯いた。
 「救護班の2人がやられたから、直接治療はできない。ソーラさんの指示を仰ぎながら、足の応急手当をしてあげて。必要なものはソーラさんがもっているから」
 「分かりました」
 それだけ言うと、ともさんはバステンさんのところへと向かった。俺は向き直って言った。
 「ソーラさん、どうすればいいですか」
ソ「まず矢を抜いて。それから止血して」
 痛みをこらえている表情で、必死にソーラさんは指示した。
 「…かなり痛いと思いますが、我慢してください」
ソ「大丈夫。おねがい」
 精神をまた落ち着かせながら、俺は刺さっている矢に手をかけた。
 さほど時間は掛からなかった。矢を抜き取って、すぐに止血し、大きめの包帯で傷を覆った。その間本人は何もこぼさなかったけれど、終わった時には涙が浮かんでいた。相当我慢したのだろう。
 先端に血のついた矢を見たときには、背筋に冷たい何かが通った。その後に続いて怒りがこみ上げた。顔には出さなかったが、自分の中で燃えていた小さな炎が、大きく揺らめくように感じた。そのまま右手で矢を折った。
「…ありがとう」
 不意にお礼の言葉が聞こえた。
ソ「また、助けられちゃったね」
 「気にしないでください」
 そう言った後、突然ソーラさんは驚いた表情になり、右腕を伸ばしてきた。
ソ「傷ができてる」
 見ると、さっきの左腕だった。血は出ているが、傷は浅い。
 「これくらい大丈夫です」
ソ「それはだめ」
 そう言うと、ポケットの中からハンカチを取り出し、傷を塞いでから腕に巻き、結んでくれた。
ソ「放っておいて何かあったら大変だからね」
 「…すみません」
ソ「謝らなくていい」
 ソーラさんは微笑んだ。こんな状況で言うことじゃないだろうが、素敵な笑みだった。前にも感じたような気がする。目を奪われそうになったが、間一髪で視線を移して、ともさんとバステンさんを探した。
 

 咄嗟に避けようとしたのだろうか、全身が巻き込まれることはなかったが、両足が下敷きになった。鳥さんとソーラさんは引き返して、救助にあたり始めた。
 俺はクミさんの正面に移動して、剣を構えなおした。
 「時間を稼ぎます。そのあいだに」
鳥「頼んだ」
 それから周囲を見わたし、近づくモンスターを片っ端から斬り、スケルトンの矢をなぎ払った。側面は減らしたぶん心配は少ないが、やはり数が多いことに変わりはない。いつまで持たせられるか分からないが、ここでクミさんを失うわけにはいかないのだ。弟として、何が何でも踏ん張ってみせる。
 向こう側からさらにモンスターが沸きあがり、こちらに近づいてくる。密度が上がれば、さっきのやり方は通じない。
対応を考えていた時、鳥さんの声がした。
 「もう大丈夫!早く行こう」
 クミさんは鳥さんに肩を担がれている。やけどの様な外傷があったが、それとは別の何かの痛みで、顔をしかめているように見えた。おそらく早く歩けないだろう。避難所の方向には、すでに数体のゾンビがうろついていた。
 「鳥さん、一人で支えられますか」
鳥「まかせといて!」
 「お願いします。俺は後ろから守るので、ソーラさんは正面の敵を!」
ソ「わかった!」
 「これを使ってください!」
 余っていた矢を投げ渡し、片手で剣を持った。横に8の字をえがくように、大きく振り回す。これで簡単には近づこうとしないはずだ。何本か矢も飛んでくるが、タイミングを見てはじいた。
 時々後ろを見ながら後退した。予想したとおり、ヤツらは近づいてこなかった。そのおかげでスペースができたが、油断できない。俺は二人との間をあけるために、わざと遅く進んだ。リスクはあるが、たとえこちらが崩れても逃げる時間は生まれる。
 足元には頭に矢の刺さったゾンビが数体、ちらほらと倒れていた。さすがソーラさんだ。この緊迫した中でも的確だった。引っかからないよう、慎重に足を運んだ。
鳥「みんな戻って!」
 背後から鳥さんの声が響く。どうやら到着したようだ。内容から避難所の周りには、まだモンスターが到達していないことが伺えた。
正面の群れの様子を見てから、背中を向けて俺は走り出そうとした。
 「キャッ」
 突然短い悲鳴が聞こえ、すぐに動きを止めた。前方を見ると、ソーラさんが倒れていたのだ。左足には矢が刺さっている。そして前からはゾンビが1体近づいていた。明らかに狙っている。ソーラさんは矢をつがえようとしているが、あれでは間に合わない。
俺は右足で地面を思いっきり蹴り、全速力で駆け出した。
ソ「来ないで!」
 必死の叫びが聞こえたが、ゾンビには通用しない。ヤツは大きく右腕を振り上げた。
 「やめろー!!」 

 人が二人並んで通れるほどの真っ直ぐな道を走ると、モンスターの集団が見えてきた。そしてその左の手前では、燃えている家屋を背にして、鳥さんとソーラさんが奮闘していた。だが前方にはすでに数体のゾンビがいて、もう少しで囲まれてしまう。早く何とかしなければならない。
 クミさんは俺の左斜め前、つまり2人を真正面に捉えられる位置を走っている。逆手持ちをしながら言った。
ク「私は正面から突っ込んでいく。あなたは右の側面をおねがい」
 「了解です」
ク「無駄に戦うのはできるだけ避けて」
 それから一気にスピードを上げて突進していった。すかさず俺も剣を抜き、側面へと突っ込んだ。

 前のヤツ2体の胴、首を斬り、そこから速さを維持しながら、風のようなイメージでモンスターの間を抜けた。その瞬間に剣をさばき、胴体を中心に1体1体に攻撃を加えていく。
 今の段階で一番大切なのは、2人の救助だ。だからたとえ完全に倒せなかったとしても、傷を与えて動けなくさせれば事足りる。いま必要なのは、逃げるための時間と空間だ。
 自分の位置を確認して、2人を背にして止まった。クミさんが倒したおかげで、後ろはある程度のスペースが確保されている。幸い2人の後ろの壁は燃えていないが、確実に火は勢いを増していた。だがその分まわりは明るい。
 俺は両手で剣を持ち、構えた。そして近づいてくるモンスターを、容赦なく斬った。最初のゾンビの腹を切り、次のヤツは肩からわき腹にかけて振り下ろした。その直後スパイダーが飛び掛ってきたが、ひらりと横にかわして剣を軽く振り、頭から真っ二つに切り裂く。
 改めて剣を構えなおし、目に力をこめてヤツらをにらみつけた。何かを感じたのか、人みたいにたじろいでいるようだった。襲ってこなければ、それだけ手間が省ける。
鳥「撤退しよう」
 鳥さんの声が聞こえた。俺は二人とクミさんを先に行かせようと、少しずつ後退しながら構えの姿勢を崩さなかった。これでクミさんが行けば、その後に続けばいいと考えていた。
ソ「クミさん危ない!」
 すぐ背後からソーラさんの叫びが聞こえた。新手か、それともウィッチだと思ったが、それは全くの見当違いだった。後ろに視線を移すと、クミさんが構えながら後退していたが、ちょうどその隣から、火災で支えがなくなった家屋が、道に向かって崩れてきていたのだ。クミさんは前に視線を集中しているせいか、ソーラさんの声にも気がついていない。
 「クミさん!」
 叫んだことで気がついてもらえたが、もう遅かった。燃えさかる木材は、クミさんを巻き込みながら雪崩のように崩れた。
 


 あたりが暗くなる前に、屋根に上った。
 太陽が沈んでから空が曇りはじめ、辺りは真っ暗だった。雨は降らなそうだが、これでは中距離もよく見えなくなる。松明の明かりが唯一の頼みの綱だった。
 それから3時間のあいだ、ゾンビやスケルトンは一体も現れなかった。なぜだろう。今までは必ず出現していたはずなのに。雨が嫌いなのか、暗闇で見えにくいだけだろうか。そんなことを気にし掛けたが、今はウィッチが最優先であることを再び思い出し、任務に集中した。
 その時、左隣の家屋のそばで、動く人のようなものが見えた。明かりは遠くて、何なのかよく分からなかったが、人の動きではないのはたしかだった。
 軽くつがえていた矢をしっかりと引き、狙いを定めて放った。矢は暗闇に消えたが、体が倒れる音がする。屋根をおり、近くの松明を手に持って確認に向かった。
 残念ながら正体はゾンビだった。後頭部を矢が貫いている。この距離だったから狙えたが、もうすこし伸びていれば、一撃で倒すことは不可能だろう。ただでさえ今夜は暗い。ウィッチを確実に狙うためには、引き寄せなければならなかった。俺は矢を抜いて、もといた場所に戻ろうと、ゾンビの亡骸に背を向けた。
 だが後ろからうめき声が聞こえて歩みを止めた。倒していないのかと、振り返ってヤツを見たが、ピクリとも動かない。それどころか、うめき声は周囲から聞こえてくる。スパイダーの鳴き声も混じっている。
 「何だ?」
 矢をつがえて周囲を見回しながら、じりじりと後退した。そして前方からは松明に照らし出されたゾンビとスパイダー、スケルトンの姿が、次々と浮かび上がった。群れだと判断するのに、時間は掛からなかった。
 「ウソだろ…」
 俺は瞬時に矢をつがえ、そこから次から次へと矢を放った。頭、胴体と射抜いて、10体ほど倒したが、数が多すぎて矢では間に合わない。かといってあの中を剣で進むのは危険だ。
 判断に迷っていると、先ほどまで上っていた家屋から、巨大なオレンジの光が灯った。炎はまるで生き物のように、家を飲み込んでいく。ヤツは群れの中にいた。
 体勢を立て直すため、俺は避難所へ向けて走りだした。

 他の方角も明るくなっている。すでに四方すべてから火の手が上がっていたのだ。幸い、群れは中まで入ってはいないようだった。避難所の手前まで来たが、まだ他のメンバーを見ていない。俺が最後だろうか。
 入り口はちょうど南側を向いていたので、周りこんで向かおうとした。
と「ムサシ君!!」
 上から呼び止められた。心配してギリギリまで待っていたのだろうか。聞こえるように大きめの声を出した。
 「こっちはもうダメです。数が多すぎます」
と「そんなことはいい。西側が孤立した。すぐ助けに行って!」
 俺の予想は大きく外れた。まだ避難していないメンバーがいたのだ。
 たしか、西側は鳥さんと―ソーラさんだ…!
ク「無事だったの」
 いつの間にかクミさんが駆け寄ってきていた。
 「鳥さんとソーラさんが」
ク「わかってる。行くよ」
 「はい!」
 ほぼ同時に駆け出した。クールな声を聞いて、焦燥を感じていた精神はおさまり、もとの感覚が戻ってきた。