<木村先生の思い出> その4

神西氏に格別こだわっているわけではないが、私の思い出の中には一度もお会いしたことのない「神西先生」がこんな風にして登場するのである。学者、研究者としてハーバード留学から帰られてからの木村先生は誰の目にもすでに大きな存在であったが、私の中で神西氏の影が完全に薄れたのは東大に移られてから間もなくの頃の木村先生の訳業に接してからであった。例えばチェホフの「谷間にて」の先生の名訳である。こんなすばらしい訳をされる先生だったのか、と私は呆然とした。ほん訳以外では二葉亭について書かれた文章の闊達さ、しなやかさに舌を巻いた。

先生はいわゆる物書きではなく、あまり多くの文章を書かれた方ではなかった。しかし偉大な訳業を残されただけでなく、能文家の片鱗を随所に見せておられる。若輩の私は先生のそばにいて、可愛がっていただきながらそういう先生のことを後になるまで知らなかったのである。 

 (ロシアの文学・思想「えうい」1986・15 追悼
   ■木村彰一より)完


*公人としての父はこんな感じなのですが、家庭人の父は変人でした。書いて説明するのは困難ですが、知る人ぞ知るです。ただ、老いてからは少し丸くなり、また病に苦しむことも多くなって普通っぽくなった気もします。