空の信仰
また 一年が過ぎました。
部屋に置きっ放しの ナイロン・サブ
捜し物をしていて、ふと その香りに誘われ、
カサカサ柔らかい その塊に 顔をうずめます。
digestiveも respiratoryも 弱かった私の
記憶たちのベースになっているのは
母に連れられ 注射に通った日々のけだるい感覚
ほこりっぽい窓から射しこむ 午前の光線
畳の部屋
クレヨン 画用紙 坐り机
白茶けた枯れ草の田んぼのみちも
ふきのとうの静かな香りも
どうどう流れる雪解けの沢も
山の中の広い平らな雪原
青いカップの森永コーラス
霧の中に放った
りんごの芯も
新しく私のなかに棲みつき
鮮かな刻印を残しました。
まつ毛の涙を払い落す場所を探した 雪の日
何気なくすぎて行った 暖かい人たち
溶けた黒い氷 春の海岸
背後のみちに落っことして
重たくなった荷物を ときどき減らさなければ
向こうまで 歩いて行けないのです。
と書いた日は 黄いろい秋?
不定形のまま 明るい眼で 白い空を仰ぐ 新しい冬
手袋にもヤッケにもシュラフにも
そっと入りこんでいる このにおい
薪といっしょに くん製になった布地たち
日々・・・
一年経った今も
◎のことばは 違和感なく 私の奥底に響いてきます。
でも◎の憎悪する文明の意味空間のア・プリオリなねじれがなかったら、それを嫌悪する◎も存在できなかったことでしょう。
空の明るい日 私はうれしくて
ピョンピョン走って階段を上るのです、空に行きたくて。
(ポイトンが大学3年生の冬に、サークル誌に書いたもの)
◎は、社会学者の見田宗介氏のこと。
*過去ブログの再掲載です。もう、こんな軽やかな文章は書けないなって思いました。