ヨーロッパの大都市には、19C後半になってゴミ収集処理が始まるまで、廃棄物問題を抱えていない都市はなかった。
16〜19Cのパリは、今日では想像もつかないほど悪臭に満ちていた。積み上げられて腐った生ゴミ、人間や動物の排泄物や肉の解体屑や生ゴミが悪臭の原因である。
下水もなければ、ゴミ収集もなかった。
今日のように便所のある家庭はほとんどなく、穴の上に板を渡した汚物溜めがあれば上々だった。豪華な王宮や城郭でさえも19Cにいたるまで便所は床に開けられた穴で、排泄物は容器に受けて道端に捨てるか、窓から放り投げられていた。
セーヌ県知事、ジョルジュ・オースマンが行ったパリ大改造で、1861年に幹線下水道が完成し、下水網によって経口感染症は劇的に減少したが、1889年に下水処理場ができるまで未処理のまま流すしかなかったので、パリ全域の汚水が集まるセーヌ川は、以前よりも汚染がひどくなった。
(石 弘之「地球環境と人類史」より
人類を悩ましてきた悪臭とゴミの山 )
石弘之は、以前一橋大学の学長だった経済学者である=
石弘光の兄です。石弘之も大学で教えていた期間もありますが、職業は環境ジャーナリストとなっています。