冬の郊外の駅前の夜の屋台で、仲のよかった人と一緒に熱いラーメンをすすっていた時今ここで死んでしまってもいいという幸福感に充ちあふれていることを意識していた。その幸福が好きな人といっしょにいるということから来るのか、熱いラーメンの方から来るのか、どちらかは分からなかったが、少なくともこの二つが両方そろえば、それ以上のものは、自分には何もいらないなと感じていた。

もちろん社会には幸福のために必要な基本的な物質条件をすでに十分に確保しながら、その上になお、何億でも何十億でも金もうけしてみたいという人はいる。

けれどもそういう人は、ある種の趣味の悪い人として、みんなからけいべつされるだけというふうに、時代の空気の潮目は変わろうとしている。
 (見田宗介「現代社会はどこに向かうか」 
   ー六章ー 高原の見晴らしを切り開くこと)

「ある種の趣味の悪い人」という表現が適当かどうかはわかりませんが、そういう人が「みんなからけいべつされるだけ」に、時代の空気の潮目が、本当に変わるといいですね。
       
            (過去ブログの再録です。)