川と河   飯島耕一

   8

このころ 何をしたかは
一切 忘れたが、
歩いて二、三分の
川の明るさ、
だけは はっきりとおぼえている。

   9

気がかりが
ひとつあった
八月十日 陸軍航空士官学校から
八月二十日に入校せよ との
電報がとどいていた。
もう行かなくていいにちがいないが、
行かないわけにもいかない
しかし行く必要はもうない
だが 行ってみたい気もしなくはない
戦後 最初のジレンマだった
それから三十年
かかるジレンマの
絶えたることなし。

  10

一九三九年夏
弟と木下サーカスを見に行った。
象・・・てんねんの、なんとかというジンタ・・・
空中ブランコ、綱わたり
道化たち・・・天井の高くひろおいだ大テント
きみたちの国で カテドラルの大天井に匹敵せんとする ものは
あのテントだけである・・・
原っぱにサーカスのテントが張られると
行きも帰りも幸福だった
動物のにおい 熱気 したたる汗
センベイ キャラメル コールコーヒー・・・
何よりもあの 象どもや ライオンや 猿の
におい・・・しょうべんの太陽で煮つまった におい・・・
(テレビのサーカズは
少しも におわない)
きみは小学校の四年だった。
弟はいつも少し夢中になりすぎている。
木下サーカスにはいつも少し日中戦争のにおいがする。

 (詩集「バルセロナ」より)