田園詩   立原道造

小径(こみち)が、林の中を行つたり来たりしている、
落ち葉を踏みながら、暮れやすい一日を。

 
    僕は   立原道造

僕は 背が高い 頭の上にすぐ空がある
そのせいか 夕方が早い!
             (詩集「日曜日」より)


    午後に   立原道造

さびしい足拍子を踏んで
山羊は しづかに 草を食べている
あの緑の植物は 私らのそれにまして
どんなにか 美しい食事だらう!

私の飢えは しかし あれに
たどりつくことは出来ない
私の心は もっとさびしく ふるへている
私のをかした あやまちと いつはりのために

おだやかな獣の瞳に うつった
空の色を 見るがいい!

<私には 何が ある?
<私には 何が ある?

ああ さびしい足拍子を踏んで
山羊は しづかに 草を 食べている

   (詩集「優しき歌」より)


立原は例の木の椅子に腰をおろして、眼をつむって庭仕事の済むのを待ち、私はこの人はどうしてこう睡いのであろうと、白皙の美青年の半顔が夏の日の反射で、いよいよ白皙の美をほしいままにしているのを眺めた。彼は酷く痩せていたので、ズボンの膝から上もぺちゃんこになり、足の姿が痛々しく眼に映った。
     (室生犀星「わが愛する詩人の伝記」より)