検索してみると「現代社会はどこに向かうか」の書評風の記事もあり、複数のブログでも取り上げられていました。読みの方向は概ね的を外れず、筆者たちの抱いた印象も理解可能でした。
(楽観的とかお粗末という批判もありましたが、どうして楽観的にも思えるスタンスで書かれたか、どうして大きな活字でこの分量で書かれたかに思いを馳せるべきかと思いました。)
見田宗介は、これまで問い(=現代社会に生きる者は何をなすべきか、責務は何か)に対して抽象的にしか答えていませんでした。今回の著書では具体的に書かれており、緊張しつつ読み進みましたが、妥当な答えで安心しました。妥当だ、安心だと言っても、決してeasyではなく、実に困難なことだと思っています。
前ブログで序章の結論を示しました。
⇒幾千年の民衆が希求してきた幸福の究極の像としての「天国」や「極楽」は、未来のための現在ではなく、永続する現在の享受であった。天国に経済成長はない。「天国」や「極楽」という幻想が実現することはない。天国や極楽という幻想に仮託して人びとの無意識が希求してきた、永続する現在の生の輝きを享受するという高原が、実現する。
選挙で対立する候補のどちらもが、経済成長を公約とするような現在において、経済成長がなくてもいいと思える人はどれほどいるのでしょう?当然の大前提とされている経済成長、無前提的に必要と信じられている経済成長。人の幸せに必須と信じられている経済成長が、本当に人の幸せにとって本質的なものなのかどうか真剣に考えてみるべきと思います。
恐らく経済成長を放棄せざるを得ないところまで、私たちは苦しみ続けなくてはならなくなるのでしょう。逆に言えば、経済成長を含むor伴うどの道すじをたどっても地獄or破滅に至ると納得するしかなくなって、ようやく手放すのだと思います。
(楽観的とかお粗末という批判もありましたが、どうして楽観的にも思えるスタンスで書かれたか、どうして大きな活字でこの分量で書かれたかに思いを馳せるべきかと思いました。)
見田宗介は、これまで問い(=現代社会に生きる者は何をなすべきか、責務は何か)に対して抽象的にしか答えていませんでした。今回の著書では具体的に書かれており、緊張しつつ読み進みましたが、妥当な答えで安心しました。妥当だ、安心だと言っても、決してeasyではなく、実に困難なことだと思っています。
前ブログで序章の結論を示しました。
⇒幾千年の民衆が希求してきた幸福の究極の像としての「天国」や「極楽」は、未来のための現在ではなく、永続する現在の享受であった。天国に経済成長はない。「天国」や「極楽」という幻想が実現することはない。天国や極楽という幻想に仮託して人びとの無意識が希求してきた、永続する現在の生の輝きを享受するという高原が、実現する。
選挙で対立する候補のどちらもが、経済成長を公約とするような現在において、経済成長がなくてもいいと思える人はどれほどいるのでしょう?当然の大前提とされている経済成長、無前提的に必要と信じられている経済成長。人の幸せに必須と信じられている経済成長が、本当に人の幸せにとって本質的なものなのかどうか真剣に考えてみるべきと思います。
恐らく経済成長を放棄せざるを得ないところまで、私たちは苦しみ続けなくてはならなくなるのでしょう。逆に言えば、経済成長を含むor伴うどの道すじをたどっても地獄or破滅に至ると納得するしかなくなって、ようやく手放すのだと思います。