見田宗介を知ったのは、10代の終わり、大学の図書館ででした。初めて読んだのは「現代日本の精神構造」で、新聞の身上相談の分析から、現代日本の精神状況を考察したものでした。以後、対話し、教えてもらうという形で(=見田は何を言っているのだろう、これはどういうことなのだろうと考えながら)、見田宗介を読み続けて来ました。

それでもまだ、知らなかった見田宗介が出てきて、びっくりしています。こんな濃厚な子どもだったんですね。。。( ´艸`)

自分自身のことを話すと、わたしにとっての「ほんとうに切実な問題」は、子どものころから、「人間はどう生きたらいいか」、「ほんとうに楽しく充実した生涯をすごすにはどうしたらいいか」、という単純な問題でした。

この問題は二つに分かれて、第一に、人間は必ず死ぬ。人類全体もまた、いつか死滅する。その人類がかつて存在したということを記憶する存在さえ残らない。すべては結局は「虚しい」のではないかという感覚でした。

第二に、その生きている間、すべての個体はそれぞれの「自分」をもって、世界の中心のように感じて、他の「自分」と争ったりまた愛したりする。この「自分」と他の「自分」たちとの関係が、友情や恋愛や家族の問題から、経済や政治や国際関係の問題に至る、実にさまざまの現実的な問題の根底にあり核心にあると把握される、ということです。

単純な言い方ですが、<死とニヒリズムの問題系>と、<愛とエゴイズムの問題系>と名づけていました。

(見田宗介「越境する知」より)