わたしたちが社会学に求める課題は、人間と社会についての<見晴らし>を開く、ということである。

 社会学の始祖オーギュスト・コントは知の目的を、「予見するために見る(voir pour prevoir)」ということであると考えた。社会学の初心は、未来展望の学ということにあった。とりわけ時代の方向についての、大きい確かな<見晴らし>を獲得するということにあった。

 予見するために見る、ということは現在を見、過去を見ることをとおして未来を見る、ということである。「現代」という世界の構造と特質と、近代化以降の日本社会のダイナミズムとをふりかえって来たいくつかの巻につづいて、この巻には、直接に人間と社会についての<見晴らし>を開くことを目的とした、いくつかの論考を集めた。

 未来への「見晴らしを開く」という仕事は、大きく分けて、未来を「予見」するという仕事と、未来を「構想」するという仕事とに分けられる。未来を予見するという仕事は、人間にとって必然的に、どのような未来が来るか、という見通しであり、未来を構想するという仕事は、この必然の決定する可能性の内部で、どのような未来が望ましいかを提言する、ということである。

 (見田宗介「定本解題ー未来展望の社会学」より)