ひとつの大陸、たとえばオーストラリアのような大陸に、この大陸の自然条件によく適合した新しい種の動物が移住してきて自由な繁殖を開始すると、食物もあり天敵もあまり存在しないので加速度的な「人口爆発」を起こす。この繁栄の局面に生き合わせたこの動物種の中の一個の個体という視点からみると、この展開は「無限」に永続するものであるように見える。けれどもこの無限はほんとうは幻想であって、大陸の有限な自然条件の中で繁栄はいつか臨界に達することとなる。この「臨界」の手前や踏み越えた向こう側では、大量死や相互殺戮、個体生殖能力の変容等々、手荒な調節の行われる場合も多いが、最も順調に経過するなら、この大陸の<環境許容能力>に近いところで、「定常平衡系」ともいうべき、安定した持続の局面に入る。

 人間の歴史の中で、「近代」という時代を今全体としてふりかえってみると、地球という有限な空間上での、人間というよく適合した動物種による、このような「大爆発」の局面であったと見ることができる。

 一人ひとりの個体あたりの生活の水準もまた、少なくともこの<近代>の広大な中心部分に関する限り、量的にもまた質的にも向上しつづけ、この沸騰の局面の内部を生きる一人の個体という視点からみると、人間の進歩と繁栄は「無限」であるという感覚が、自明のものであるように共有されるに至った。

 (見田宗介「生命曲線/歴史曲線。『近代』の意味」より)