一花は勉強が好きですか?
 

答えなくてもわかりそうだけど、というわけで今回は「勉強を利用する」というテーマで話します
 

勉強はやめてもいい


高校生にもなると、少しづつ本格的に将来の進路について考え始める
 

そしてその将来について考える時、「勉強」という言葉が必ずついてくる
 

だからここで「勉強」というものの見方を、これまで見てきいるのとは違った角度から紹介しようと思う
 

例えば、「これからしばらくの間、勉強するのを禁止」
 

と言ったら驚くかな?
 

そんなことしたらますます将来が心配になるかもしれない
 

でも本当に必要かどうかもわからないまま、不安にかられてイヤイヤやったところで、まったく勉強していない状態となんら変わりはない
 

だから勉強はやめることができる
 

では、いつまで勉強をやめてもいいか?
 

それは「勉強をしたくてしたくてたまらなくなるまで」
 

そんな時がくるわけないと、思うかもしれないけど、来なければ来ないままで仕方ない
 

大学進学、大企業への就職をあきらめればいい
 

でも安心して
 

自分の人生に大学進学が必要なら、必ずそういうときがやってくるはず
 

そしてそのとき、自分のどうしてもやりたいことの中に「勉強」が入ってきたときには、どんな困難をも乗り越えて、夢を実現することができるから
 

世の中には「大学には行きたいけど、勉強はしたくない」「いい会社には入りたいけど、勉強はしたくない」「高いお給料がほしいけど、勉強はしたくない」という人がとても多い
 

そしてまわりの多くの大人たちもこう言う
 

「将来のために勉強しなさい!」
 

でも実は言っている側も、なにが将来のためになるのかなんて本当はわかっていない
 

勉強して、一流の大学に行って、大企業に就職できたから幸せかというと、そうでもないということも感じている
 

でも、やらないよりやったほうがいいんじゃないかって思うから、「将来のため」という言葉を使っている
 

※将来のやりたいことは、お金が稼げるものから選ばない
 

勉強を道具として使う


そもそも勉強というのは、一つの道具にすぎない
 

だから、「やらないよりやったほうがいい」という考え方は間違っている
 

むしろ、間違った使い方しか出来ないのなら、勉強なんて道具は捨てたほうがいい
 

世の中には便利な道具が沢山ある
 

例えば「ナイフ」
 

無人島に一人取り残されてしまっても、これ一本あれば、生き残る術がいろいろ見つけられる
 

どんな家庭にだって包丁やハサミといった刃物は必ずあるし、逆にそれらすべてがない生活の不便さなんて想像も出来ない
 

最近は「パソコン」や「スマートフォン」という便利な道具だってある
 

それ一台あれば、世界中の人々とつながることだってできるし、今までのビジネスの常識をくつがえし、巨万の富を得ることだって可能
 

つまり道具というのは、なにかの不便さを解消するために、この世に生み出された便利なもののはず
 

ところがすべての道具には、良くない使い方もある
 

「ナイフ」は人を傷つけることができる
 

「スマートフォン」だって、全世界の人たちとつながっているだけに、使い方を誤れば多くの人を深く傷つけることになる
 

あらゆる道具は、間違った使い方をすると、「人を傷つける」ことになる
 

そう考えると、道具に「善」と「悪」があるわけではなく、それを使う人次第ということがわかる
 

勉強も一つの道具
 

だから、よく考えて「勉強」という道具を使わないと、人を傷つけたり、自分自身を不幸にすることだってある
 

そうなるぐらいなら、「勉強」なんてしないほうがいい
 

ナイフを使うとき、その便利さと危険性の両方を知った上で使っているはず
 

その両方を知っているからこそ、他人や自分を不幸にしたりしないですむ
 

ところが勉強に関しては、その危険性について考えたことがある人は少ない
 

勉強ができるようになって、人を見下すようになる人がいる
 

勉強ができるようになるのと引き換えに、挨拶すらしなくなる人がいる
 

勉強だけに没頭しすぎて、人の気持ちがわからなくなって、コミュニケーションがとれなくなってしまう人もいる
 

自国の歴史や文化を勉強することによって、他国のことを憎んだり、文化を否定する人もいる
 

化学や機械に精通して、多くの人に被害を与えるようなものをつくり出す人さえいる
 

これは全部、勉強という道具の使い方を間違えている
 

そういう間違った使い方をするために、親や大人は「勉強」という道具を持たせたか?
 

たぶん違う
 

だから勉強は、「やらないより、やったほうがいい」というものではない
 

本当に考えるべきは、「何の目的のために、それを使おうとしているのか」
 

「勉強をやめてもいい」というのは、勉強という道具を捨ててほしいからではなく、勉強という道具を正しく使って、自分の人生になくてはならない便利な道具として活用してもらいたいから
 

「では、勉強は何をするための道具なのか?」ということは、また別の機会に話します
 

ここでは、勉強は一つの道具として考え、自分や周りの人の為に正しく使う
 

このことを覚えていてほしい
 

学校のテストの為ではなく、人生という大きなテストで、自分の納得いく点数がとれるように勉強してほしいと思っているパパより
 

※時間という財産を、「頭」を鍛えるために使う

一花はこれまで、成功したことと、失敗したこと両方経験したことがあると思う
 

だけど、成功と失敗の違いって何だったかわかる?
 

ということで今回は「失敗する人と、成功する人の違い」というテーマで話します
 

夢を叶えるのに才能は不要

世の中にはとても多く夢を実現した人が存在する
 

そしてそれよりもはるかに多くの、夢を実現できなかった人がいる
 

みんな夢を持って生きている
 

全ての人が大きな夢を持ち、それを実現できるような人生を送ることができれば、それはとても素晴らしいこと
 

でも、残念なことにそれを実現できるのは、ほんの一握りの人たちでしかない
 

これはまぎれもない現実
 

だから、この世の中の失敗した人たちと成功した人たちが、その理由をどのように自己分析しているのかを知ることはとても意味がある
 

夢を叶えられなかった人たちが、どうして夢を叶えられることができなかったと言っているのか
 

また、夢を実現した人たちが、どうして夢を叶えることができたと言っているのか
 

それぞれの言葉を聞くことによって、夢を実現する方法が見えてくる
 

まず、夢を叶えることができなかった人たちが、その理由を自己分析すると必ずこういう答えが返ってくる


「自分には才能がなかった」
 

一方で、夢を叶えることが出来た人たちが、その理由を質問されると必ずこういった答えになる
 

「どうしてもやりたいことを、情熱を持って続けてきただけ」とか、「周りのおかげ」だと
 

ここで不思議だと思わない??
 

夢を叶えることが出来なかった人たちの理由が「才能がなかった」ならば、夢を叶えた人たちの理由は「自分には才能があった」と言ってもいいはず
 

しかし成功した人で、それを口にした人は誰一人としていない
 

つまりここに、成功する人と、成功できない人の考え方の違いがある
 

失敗する人は「才能」を頼りに夢を叶えようとする
 

別の言い方をすれば、「自分が成功できることは何か?」を考えている
 

このことが大きな勘違いをしている
 

成功は才能によって得るものという勘違い
 

なぜなら夢を叶えた人は誰一人として「才能があったから成功できた」とは言わないから
 

一方で、成功した人は「情熱」や周りへの「感謝」を頼りに夢を叶えようとする
 

別の言い方をすれば、「何をやれば成功できるか」ではなく、「自分がどうしてもやりたいことは何か」を考えているということ
 

そして何をするにしても感謝の気持ちを忘れないということ
 

夢を実現したすべての人がこの方法を使っている
 

だから長い期間、情熱を持って行動を続けた人が、夢を叶えることが出来なかったということは、起こりようがない
 

情熱を持ち続ける

例えば、ここにサッカーが上手な少年がいる
 

その少年は周囲から、サッカーの才能があると言われ、実際に町内でも一番サッカーが上手なので、自然と彼の将来の夢は、プロサッカー選手となっていった
 

この少年が夢を実現するまでに出会う壁はとても多く、険しく、高い壁だったのかは想像がつく
 

もし彼が、自分の才能を頼りにこの夢を実現しようとしていたら、かなりの初期段階で、それこそ同じチーム内の選手や対戦相手の実力をしり、上には上がいるということを思い知らされ、夢を諦めることになっていたはず
 

しかし、誰よりも上手くなりたいという情熱は、現時点での実力とは無関係で誰にも負けない強さで持つことができる
 

むしろ、その情熱がなければ、これからの人生に待ち受けている幾多の壁を乗り越えることは出来ない
 

実際に、有り余る才能はあったけれど情熱がなかったために夢を実現することが出来なかった人は沢山いる
 

だけど最終的にプロサッカー選手になり活躍している人の中で、「情熱を持ち続けていなかった人」は決していない
 

これはスポーツに限った話ではなく、絵や音楽、ダンスや勉強もすべて同じ
 

誰にも、ちょっとした才能の片鱗を感じさせるものが一つや二つはある
 

子供の頃に好きで始めたものには、そういうものを感じさせる瞬間が必ずある
 

しかしそれですら努力の結果、開いた才能でしかない
 

才能とはあらかじめあるものではなく、自らの努力で開花させるもの
 

そして、才能を開花させるものは、開花させようとする「情熱」
 

必要なことは才能ではない
 

やりたいことに情熱を注ぎ込むこと
 

そうすることで、才能を開花させることができる
 

大事なことなので、繰り返しになるけど
 

「失敗した人は才能を理由に挙げる」「成功した人は情熱を理由に挙げる」
 

そう、夢を叶えるために必要なことは「才能」ではなく、それをやりたいという「情熱」
 

だから、情熱を基準にやりたいことを見つけて、その情熱を頼りに行動して、成功の人生を歩んでいって下さい
 

また情熱を基準にしたやりたいことの見つけ方は、別の記事で紹介します
 

※自分が向いていることを探さない


※将来のやりたいことは、お金を稼げるものから選ばない
 

情熱のクセが強すぎて、こんなブログばかり書いているパパより
 

一花は自分が将来、何に向いているかわかってるかな?
 

というわけで今回は「自分が向いていることを探さない」というテーマで話します
 

自分の種の育て方


普段通っている学校というところは、種類の違うさまざまな種を全部一つの鉢(教室)の中に入れて、
 

それを育てる人(先生)たちが自分なりに最も多く芽が出るだろうと思う方法で育てているようなもの
 

当然ながら、その育て方が合っていれば、グングン才能を発揮する種もあれば、普通の気温や水のやり方や肥料では芽をだすことの出来ない種もある
 

だからといってその種が、もともと何の才能もなかったと言いきることは出来ない
 

育て方さえ間違えなければ、すべての種は芽を出し、茎を伸ばし、葉をたくさんつけて、花を咲かせ、沢山の実をつける
 

今まで才能を発揮してこなかったからといって、決して種が平凡であったわけではなく、その種を最大限に成長させる育て方をしてこなかったからでしかない
 

だからといって、これは学校の先生の責任ではない
 

よく、芽が出ないのは学校の責任にする人が多いけど、やっぱり人それぞれ、自分に合う育て方は自分で発見するしかない
 

まずこのことを忘れないでいてほしい
 

スタート地点は皆違う


そして自分の向いていることは何か?については多くの人がわからず悩みを持っている
 

その原因の一つは「自分の夢」に向かって自らの進むべき道を決めようとしているのではなく、自らの進んだ先に「自分の夢」を当てはめようとしているから
 

たとえば、栄養学科のある学校に行くことになったから、将来のやるべきことは栄養関連のことをやらなければならないとか
 

英会話の塾に通っているから、英語関連の何かをやらなければならない
 

といった具合に、行く場所によって自らの将来の夢が制限されるような感覚で、自分の所属する場所を決めようとしている
 

しかし実際はそうではなく、どんな場所も、「将来を制約する場所」ではない
 

何の約束もない「自由な場所」でしかない
 

人間はそれぞれ、生まれたときから状況が違う
 

健康に生まれた人から、都会に生まれた人、お金持ちの家に生まれた人もいれば、生きていくのもままならない時代に生まれた人もいる
 

人生のスタート地点というのは、全ての人が違う
 

だけどスタート地点の違いによって、将来の成功を制約されることはない
 

どこからスタートしても自分の目指すゴールにたどり着くことができる
 

現実的には、子供の頃貧乏だった人のほうが、お金持ちの家で財産を受け継いだ人よりも、将来成功して多くのお金を稼ぐ人になる可能性は高いぐらい
 

そう考えると人生は、スタート地点からは想像も出来ないゴールにたどり着くのが普通
 

だから現時点で自分が「どんなことに向いているかわからない」というのは、決して悪いことではない
 

人生はスタートとゴールは大きく違うものだから、入り口は何でもいいという柔軟な姿勢で色々チャレンジするべき
 

自分自身がワクワクすることをやる


はっきり断言できることは
 

「自分が何に向いているかどうかは、やってみなければわからない」ということ

※夢を叶える「行動」
 

やる前は自分に向いていると思っていたことも、いざ始めてみると自分には向いていなかったということを知り、打ちのめされることも多々ある
 

また、自分では向いているとは思わなかったことも、続けていくうちに思いもよらなかった評価を得られることも珍しくない
 

長期間にわたり没頭してみて初めて開花する才能だってある
 

中学生になったばかりの時に、部活動を選ぶのに自分に合っているスポーツを探そうとしたと思う
 

まだやったことのない数々のスポーツを前に、「自分に向いているもの」を探してもみつかるはずはない
 

それは、食べたことのない果物を目の前に並べられて、自分にとって一番おいしいのはどれかを、決めろと言われているのと同じ
 

それは自分に向いているかもしれないし、向いていないかもしれない
 

だから「自分の向いていること」なんて探すのは時間の無駄
 

そんなことを考えるよりも、向いていなくてもいいから、自分自身が心の底からワクワクするような事をやる
 

例えば
 

今、大海原へ出航しようとしている
 

そしてその大海原に出るための船を選ぶ
 

大きな船なら沈まなさそうだと思うし、小舟なら大海の荒波に飲み込まれそうな印象もある
 

でも実際には船の大きさと、航海の危険性にはそれほどの相関性はない
 

小舟には小さな波にさえも左右に揺られることになる
 

それでも船長の腕が確かなら、そう簡単に沈んだりしない
 

大切なのはどの船に乗るかではなく、その船がどういう目的で航海しているか
 

それぞれの船には出航する目的がある
 

自分のことだけを考えて出航する船もあれば、世の中の多くの人のためになろうとする船もある
 

法を犯す海賊船まがいの船だって存在する
 

最も大事にしないといけないのはその船の航海の目的が、自分自身をワクワクさせるものかどうか
 

なぜなら航海には船の大小を問わず危険は伴うわけだから「これをやるためなら命をかけられる」と思えるほど興味をそそられるものでないといけない
 

どんな船に乗ったとしても、航海を重ねるに従って、与えられる仕事の責任は重くなり、多くの人の命を預かるようにだってなる
 

同じ船に乗り続け、その中で地位を上げていく生き方もあれば、途中で別の目的を持つ大きな船に乗り換えたり、新しい船をつくって、船長として活躍する生き方を選ぶことだって出来る


だから現時点で「自分に向いていること」を探すのではなく、
 

考えただけでもワクワクするような事、興味をもったことを一生懸命にやったほうがいい
 

その先に初めて、自分の向いていることに出会う

※失敗しないように生きるは間違い
 

繰り返しになるけど、人生のスタート地点はそれぞれ違う
 

でも、どこからスタートしても自分が夢中になれることをやっていれば、必ず目指すゴールにたどり着くことができる
 

だからスタートが違うことや、遅かったからといって、やりたい事を諦めるようなことはしないでね
 

約束だよ
 

実際に一花の成長曲線が著しく、いったい何に向いているのか、親のくせにわかっていないパパより
 

一花は今、他人に頼らず自分の力で、自分の努力で生きていますか?
 

少し先かもしれないけど、就職や新しい環境に進もうとする時に役立つお話として
 

今回は「世の中は頑張る人を助ける」というテーマで話します
 

変わる世の中


世の中というのは、10年もすれば大きく変わる
 

世間の流行も、需要も、そして個人的な好みも同じ
 

10数年前の世の中では、どんな物が流行っていたか覚えてるかな?
 

ちょうどその頃にやっと、スマートフォンが普及し始めた
 

それまで主流だった携帯は、ガラケーと呼ばれ、最近ではめったに見なくなっている
 

どこにいる相手にも思いを伝えられるツールとしては、キャリアのメールが主流で、友達や彼氏彼女、会社の上司部下等、みんなキャリアのメアドを必死に集めていた
 

何が言いたいかというと、つまり十数年前に一世を風靡した商品は、現在においてはほとんど存在しないということ
 

仕事も同じで、それよりも少し前の時代では、エリートと呼ばれる大学生たちは、競って銀行や証券会社をはじめとする金融関係の就職先を目指していた
 

当時は終身雇用制を疑う者もいなかったし、金融機関がなくなることも考えていなかった
 

結果として、絶対安泰に思われていた大企業が次から次へと倒産した
 

エリートと呼ばれる人々は就職する際に、その時代で最も有望な職種や企業を選択できる位置にいる
 

だからその時代を象徴する、今をときめく企業に就職する
 

しかし、10年経ったら世の中は大きく変わる
 

ましてや今は、昔から比べようもないほど変化が激しい時代になっている
 

十年も絶対安泰だと思われてる企業や組織なんてほぼない
 

実際に、すべての企業や組織は多くの変化の荒波を乗り越えなければ生き残っていくことは出来ない
 

今、生き残っている大企業も、実はもう駄目かもしれないと思うような荒波を幾度となく乗り越えてきた
 

だから現在この世に存在しており、これからもそれを乗り越えなければ存在出来ないという事実を知っておかないといけない
 

※今ある安定は将来まで続かない
 

ベストを尽くして毎日を生きる


そういうことを考えずに、会社の規模や知名度などを頼みに就職をする若者が多い
 

そしていつか「こんなはずじゃなかった」という日がくる
 

それは、会社の倒産かもしれないし、業績低下によるリストラという形かもしれない
 

そこまでひどくないにしても、何度も荒波を乗り越えなければならないのは、企業もそうだが、そこで働く人も同じ
 

数十年何事もなく順風満帆でした、なんてことを期待するほうが非現実的な考え
 

想定外のことが起こって初めて「自分の会社は安泰じゃなかったんだ」と思い知っても既に手遅れ
 

「自分の会社が安泰かどうかなんて、働いていれば気づくはず」「会社が危なくなったら自分から辞める」等と考えるかもしれない
 

しかし案外多くの人が気づかない
 

そしてその頃には会社を辞めることができない状態になっている
 

それは、日本のほとんどの会社は入社してから数年間はどんな勤務態度でも、もらえる給料に差がほとんどないから
 

例えば1年間、同期入社の誰よりも必死で働き、家にいる時間まで仕事にあてたとしても、1年後の給料はほとんど変わらない
 

多くの人は、「給料=自分の評価」と思っているから、これが数年続くと「自分も手を抜いたほうが得だ…」と考えるようになる
 

でも、そういう過ごし方をすると、いつの間にか自分の力で生きていこうとする姿勢に欠ける
 

そして会社の財力や、他のまじめに働いてくれる人の頑張りのおかげで給料をもらっている状態になる
 

さらに面倒なことに、本人はその状態に気づいていないことが多く、給料をもらうのは当然の権利だと主張する
 

しかし普通に考えればわかるが、稼いでいない人、貢献できない人がお金をもらえることはない
 

ただ今までの平時では、それで生きていけた時代もあった
 

しかし今のような変化の激しく、社会や会社が荒波に飲み込まれそうなときに、頼りにされるのはそういう人ではない
 

一方で会社の規模の大小や職種に関係なく、どんな状況になっても成功する人はいる
 

それは、どんな環境に身をおいても人生を自分で切り開いていこうとする人
 

他者に守ってもらうのではなく、自分に出来る精一杯のことをやろうとする人
 

見返りとして何がもらえるかを考えて自分のすべきことを決める人ではなく、報酬に関係なくそのときそのときにベストを尽くして毎日を生きようとする人
 

そう、世の中の大原則「世の中は頑張る人を助ける」
 

※やらなきゃいけない最低限を超えろ
 

このことを忘れないでいてほしい
 

どうだっかな?
 

少し就職や先に関する話が多かったけど、色んな環境に置き換えても当てはまることなので、参考にしてください
 

一花とママを守るため、時代の変化に合わせて、努力の手を休めようとしないパパより
 

一花は今、自分の人生がうまくいっていると感じてるかな?
 

それともうまくいかないと感じてるかな?
 

ということで今回は「思いどおりの人生をおくるには」というテーマで話します
 

自分の居場所


人は自分の居場所、所属する集団がなくなるのを極端に怖がる動物
 

だから「居場所がなくなる」「どこにも所属する場所がない」という恐怖心は人間を行動に駆り立てる力がある
 

だから、よほど意志の強い人は別として、普通の人たちはその恐怖心がなければ、今いる場所がよほど居心地が悪くない限り「行動」自体をしようとしなくなる
 

多くの人が文句を言いながらも会社や学校を辞めないのは、これが理由
 

受験生が勉強をする理由や、大学生が遊ぶのをやめて、就職の為に自分を磨こうとする理由の多くは
 

「どうしても大学で勉強したい」「どうしてもその会社でやりたい仕事がある」という積極的な理由よりも
 

自分の「居場所がなくなる」という消極的な理由が中心
 

でも、この消極的な理由がすべて悪いとは思わない
 

どんな理由であれ、自分を成長させる行動を起こすことから始まり、後に積極的な理由が見つかることも少なくないから
 

そう考えると、簡単に高校や大学に進学出来ること、さらには大手企業に就職まで出来る事態は大きな「ピンチ」だと言える
 

なぜ「ピンチ」なのか?
 

それは、今のままでは所属する場所がなくなるという恐怖心がなければ、自分を磨こうとしないのが普通の人間だから
 

もし自分が、高校や大学、そして会社
 

全て不合格となって、居場所がなくなったらどうする?
 

それでも生きていかなければならない
 

ここに大きなチャンスが生まれる
 

「安定も、将来の保障もないけど、自分でやるしかない」という気持ちになるから
 

できればそこまで追い詰められたくない、というのが多くの人の本音
 

でも、仕方なくそういう状況に陥ることによって得られる勇気も実際にある
 

そしてその勇気で、夢を実現した人も多くいる
 

まさに「チャンスはピンチであり、ピンチはチャンス」
 

今、自分に起こっていることが、ラッキーなのかアンラッキーなのかは、その時に判断することは出来ない
 

ラッキーだと思うことが、その後の人生の足かせになることもあるし、アンラッキーだと思うことがあったからこそ、後に成功を手にする人が多いのも事実
 

つまり、成功者と呼ばれる人にとっては、「ピンチをチャンスに変える」ということが不可欠だったということ
 

そう考えると、人生において「思いどおりにいかないこと」は、避けようとするものではなく、むしろ心待ちにしているぐらいで丁度いい
 

その時が来たら、自分の持てるあらゆる知恵と勇気と行動を使って、自分を成長させるイベントだと思い挑戦する
 

もちろん、思いどおりに事が運ぶことが、全てピンチだと言うつもりはない
 

それが当然の場合だってある
 

「人生は思いどおりにいく」
 

この言葉は、多くの成功者が座右の銘にしている
 

逆に、「人生は思いどおりにならない」
 

これは夢を実現できなかった多くの人が、感じる人生の教訓
 

人生の教訓がこれほど違うのはなぜか?
 

後者にとって、思いどおりにいくことは「ラッキー」だと考えてしまう(本当はピンチになるのだが…)
 

しかし成功者の多くは、思いどおりにいくことは「当然」であり、思い通りにいかないことを「チャンス」だと考えている
 

理解できたかな?
 

自分の人生で「思いどおりにならないな」と感じることがあったら
 

この物事の捉え方一つで、かなり自分の人生を思いどおりに進めることが出来るので忘れないでいてほしい
 

※言葉は人生そのもの
 

天秤を釣り合わせる


そして、さらに思いどおりの人生にする為に、覚えていてほしいことがある
 

それは、頭の中にいつも「天秤」を用意すること
 

天秤の片方の皿の上には、自分の手に入れたいものを載せる
 

そして、それと釣り合うものを、釣り合う量だけ、もう片方の皿の上に載せたときに、その欲しいものが手に入る
 

例えば、「学校で一番歌が上手くなりたい」と考えているとする
 

もちろんこれは、お金では手に入れることの出来ないもの
 

では、もう片方の皿の上に何をどれだけ載せれば、この思いを実現することができるのか?
 

それは、誰にでもわかる
 

「学校の誰よりも、意味のある歌の練習を沢山する」を載せれば釣り合う
 

もしその目標を「日本で一番歌がうまくなりたい」という目標に変えたら?
 

もう片方の皿に何をどれだけ載せなければならないか、答えが変わってくることもわかると思う
 

天秤の反対側に何をどれだけ載せれば、それを手に入れられるのかということは、誰でも考えればわかること
 

だからこそ、それを考えて、反対の皿に必要なものを必要なだけ載せて、自分の欲しいものを手に入れてきた成功者たちはこう言う
 

それが手に入ることは「当然」の結果だと
 

しかしながら、「人生は思いどおりにいかない」と悩んでいる人の多くは、自分の目標を天秤の片方の皿に載せた時、
 

まったく釣り合わない、異質なものを置いていることが多い
 

そして置くものはあっていても、問題なのは量が釣り合っていないということ
 

当然、足りなければ釣り合わないし、釣り合わなければ手にも入れられない
 

そして多くの場合、片方の皿に載せる努力が足りずに、欲しいものが手に入らなかったことを「人生は思いどおりにいかない」と言う
 

成功の人生を送る人にとっては、起こる出来事にラッキーとアンラッキーの区別はつけない
 

どんな出来事も自らを成長させる糧に変えて、たとえどれほど不運に見舞われたとしても、その経験によってしか手に入れられないものを得る
 

そしてその経験と努力とを合わせて、自分の欲しい人生、自分の思いどおりの人生を手に入れている
 

だからこの先、いかに不運だと思えることに見舞われたとしても
 

のちに「あの時あの出来事があったおかげで、今まで頑張ることができて、今の成功がある」と言える、この考え方と努力の方法を身につけてほしい
 

※「今」の生き方
 

単身赴任という経験があったおかげで、これまで以上に家族の大切さを知り、一花に対して何かしてあげようという気持ちが強くなったパパより
 

一花は現在どんな「称号」を持っていますか?
 

ということで今回は「称号を与える」というテーマで話します
 

称号

 

以前に、他人や社会と物々交換できる自分の魅力を磨いて、増やしてほしいと伝えました

※手に入れたいものは「物々交換」
 

今回はその中で以外に簡単に磨いて増やすことのできることについて話します
 

今の世の中は、自分で米や野菜をつくらなくても、牛を飼わなくても、服をつくらなくてもいい
 

毎日の食卓に食べ物が並び、必要な物に囲まれて生活できるのは、それを供給してくれる人がいるから
 

その人達がいなければ、生きていくことは不可能になる
 

そしてその人達と何かを交換しているから、今日もそれらを手に入れて生活することが出来ている
 

そう考えると、成功の人生をおくる上で、沢山の人と上手に付き合っていくことはとても大切なこと
 

だけど、現代は人との付き合いを極力避けようとする風潮があり、やはり人と上手に付き合っていくのは難しいことだと思われている

※人を動かし活かす人
 

だからこそ、自分が出会った人すべてが、自分の味方に出来るという、とても強力な魔法の方法があることを知っていてほしい
 

それは「称号」を与える
 

相手にこうなってほしいという「称号」を与えてしまうということ
 

人は「称号」を与えられたら、その「称号」どおりになろうとするもの
 

とてもシンプルだけど、これはまぎれもない真実
 

だから相手がどのような人かを判断してから、○○な人という称号を与えるのではなく
 

相手にこうなってほしい、こういう人でいてほしいという「称号」を初めに与えるところから、人間関係をスタートさせる
 

例えばこういうこと
 

「あなたは、誰よりも親切で優しいね。君ほど優しい人はいないよ」と言われたとする
 

そうすると喜びながらも、心の中ではこう思う
 

「それほどでもないよ。冷たい一面だってあるし、自分のことしか考えないときだってある」と
 

そして逆にこんなことを言われたとする
 

「君ほど冷たい人はいないよ。自分のことばっかり考えて他の人のことなんてお構いなしだ」
 

そうすると今度はこう思う
 

「それほどひどくないわ。もっとひどい人もいるし、これでも他の人に気をつかってるわ」と
 

同じように「暗い」と言われれば、そうでもないと思うし「明るい」と言われれば「暗いときもある」と思える
 

「強い」と言われると「弱いところもあるよ」と思えるし、「弱い」と言われると「そんなことはない!」と反論したくなる
 

これは、人間みんな同じ
 

つまり人間には過不足なく、あらゆる性格が備わっているということ
 

だから性格は変えようとしても変えられるものではない
 

別の言い方をすると、別に無理して変えようとしなくても、その性格はちゃんと持っているということ
 

自分にとって、ある人がとてもわがままで、意地悪な性格のように感じることがあるかもしれない
 

でもそれは、その人が「わがままで意地悪」ではなく
 

いろいろある感情の中で、自分の前ではたまたま「わがままで意地悪」だと感じる一面が出ているだけ
 

「相手(人)を変えることは出来ない」
「全ての人にあらゆる性格が備わっている」

 

このことを理解しておかなくてはならない
 

与える存在に


このことを理解していれば、あと必要ことは
 

相手が持っている性格の中で、これが欲しいと思うものを引き出してあげる存在になればいい
 

そして、相手の性格を引き出してあげる方法が、
 

「称号」を与えるということ
 

そんな単純なことで…と思うかもしれない
 

そう、こんな単純なことで、多くの人を味方につけることが出来るようになる
 

なぜなら人は、与えられた「称号」どおりの人間になろうとするから
 

実は世の中の多くの人は、他人に称号を与えることが大好き
 

だけどその中身は、与えられた人があまり嬉しくない称号ばかり与えて生きている
 

少し想像してみて
 

自分がいないところで、自分が友達からなんと言われていると思いますか?
 

あんまり良い評価は想像できないかもしれない
 

これは自分が素晴らしくないということではない
 

多くの人は他人を評するときに、あらゆる性格を持つ複雑な人という捉え方をするのではなく
 

自分の一番印象に残っている一面を思い浮かべて、あいつは○○なやつという称号を与えたがる
 

例えば、意見が対立したことがある友達からは
 

「あいつはわがままだよ!」
 

なんて言われる
 

だからといって、その友人を責めてはいけない
 

母親のように与える


なぜならこの世の中で、思わずそうなろうと頑張ってしまうような嬉しい称号を、先に与えてくれる人なんて、ほとんどいないから
 

多くの人が与える称号は「こうなれ」という希望を込めたものではなく
 

「こんな嫌なところがある」という現状に対するダメ出しばかり
 

みんな今の自分が完璧だと思って生きているわけではない
 

色々悩みや問題を抱えて、人とぶつかったり、傷つけたり、傷つけられたりしながら成長していく
 

みんなその過程にいる
 

ということは、その瞬間だけを切り取って称号を与えた時に、あまりよいものにならないのは当然の結果といえる
 

でもこの世には、自分がまだ持っていないのに、先に嬉しい称号を与えてくれる人がいる
 

それは、母親
 

母親でない場合もあるけど、とにかく育ててくれた人
 

この世の中で、成功者や偉人と呼ばれる人々には、ある共通点がある
 

誰もが素晴らしい才能を持っていたように思われがちだが、実はそうではない
 

素晴らしい才能とは、世の中のすべての人が持っているもの
 

その共通点とは、偉人として成功する前から、「将来成功する」という称号を与えられて育ったということ

※正しい人生目標の立て方
 

それは、母親、父親、周囲にいた大人、場合によっては先生かもしれない
 

とにかく周囲の誰がなんと言おうと「あなたは、将来世の中の多くの人のためになる素晴らしい才能を持っている」という称号を与えられて育っている
 

そして事実、与えられた称号どおりになっていく
 

今の世の中に偉人と言われる人が少ないのは、その称号を与える人が少ないから
 

だからもし自分が、相手の欲しい称号を与える人になったらどうなるか考えてみてほしい
 

きっと世の中の多くの人にとって、かけがえのない存在になり
 

称号を与えられた人にとっては、人生におけるこの上ない幸せな出会いになるはず
 

どんな人にも、将来「偉人」になる可能性がある
 

それを心から信じて、相手にその称号を与え続けるだけで、その人にとってかけがえのない存在になれる
 

そして、与えた「称号」は、他の人にとっては物々交換の対象にもなる
 

そう、「お金」だけではなく、使いようによっては、「言葉」も相手が欲しがる物々交換の対象になるということを忘れないでほしい

※手に入れたいものは「物々交換」
 

いつも一花の成功を信じて、称号をマシンガンのように浴びさしているパパより
 

一花は、今自分が欲しいものをどうやって手に入れていますか?
 

ということで今回は「手に入れたいものは物々交換」というテーマで話します
 

欲しいものを手に入れる方法


自分が欲しいものは、お金を払って手に入れる
 

世の中の多くの人はこう考えて生きている
 

そして実際に生活するために様々なものに、お金を払ってそれを手に入れている

※お金の正体は「ありがとう」
 

日用品や食料、家や車、新しい服など、普段の生活をする上でどうしても必要なものから贅沢品と呼ばれるものまで、沢山のものを
 

だからこそ、これから社会に出ていく若者は、少しでも多く、そして安定した収入を求めて、勉強も含めて、将来に向けて活動する
 

だから、お金儲けが大好きな人から、お金儲けは不浄だと思っている人まで、お金を沢山手に入れる方法を探して努力をする
 

また、沢山でもなくてもいいから安定して手に入れられるよう大変な努力をする
 

もっというと、お金は沢山なくても必要最低限さえあればいいと
 

そう考えている人でも、その必要最低限の収入源の確保が先決だという生き方をしている

※「成功とはお金持ちになる」という誤解

「お金を払えば欲しいものが手に入る」
 

これは間違いなく一つの真実
 

だから人より沢山のお金を儲けようとすることは不浄ではない
 

少なくてもいいとは考えずに、むしろ儲けられるなら儲けるべき
 

しかし、よく考えてみないといけない
 

欲しいものを手に入れる方法の基本中の基本は
 

「物々交換」
 

貨幣や、昨今では電子マネーが中心の現代社会においては、このことを忘れがちだけど、全ての人が毎日おこなっているのは単純な「物々交換」でしかない
 

こういうことを言うと、「今の日本で物々交換で手に入れられるものなんかない」とか「そんなことしたことない」と感じるかもしれない
 

でも今も昔も、世界中どこであっても、世の中の人が欲しいものを手に入れる方法は「物々交換」が基本
 

それをすこし便利に行うために、貨幣や電子マネー等があるだけ
 

つまり簡単に説明するとこうなる
 

「相手の持っているものの中で自分が欲しいものと、自分が持っているものの中で相手が欲しがっているものとを、お互いがちょうどいいと思う量で交換している」
 

確かにお金を使えば、欲しいものの多くは手に入る
 

但し、それは単なる一つの方法にすぎない
 

欲しいものをお金で手に入れるという行為は
 

相手の持っているものの中で自分が欲しいものと、自分が持っているものの中で相手が欲しがる「お金」とを、お互いがちょうどいいと思う量で交換しているということ
 

これは少し寂しくて、自分が持っているものの中で相手が欲しがるものが「お金」だけであるということを無意識のうちに認めてしまっているということにもなる
 

お金に変わる自分の魅力


でもよく考えてみてほしい
 

自分の持っているものの中で、他の人が欲しがるものは「お金」だけか?
 

自分ではきづいていないだけで、きっとお金ではなく、もっと素晴らしいものが沢山ある
 

相手がどうしてもほしいと思うものが沢山あるはず
 

それは探せば探すほど、たくさん見つかる
 

自分自身を磨けば磨くほど、増えていく

※逃げない強さ
 

わかりやすく言うと、「働く」という行為も物々交換
 

先の言葉を使うと
 

会社がもっているものの中で自分が欲しい「お金」や「安定」と、自分がもっているものの中で相手が欲しがる「労働力」や「時間」をお互いがちょうどいいと思う量で交換している
 

でもよく考えると、会社がもっているものの中で自分がどうしても欲しいと思えるものは、お金や安定、多くの休日以外に本当はたくさんある


同様に、自分がもっているものの中で会社が欲しがるものは、時間と労働力以外にもたくさんある

※将来のやりたいことは、お金が稼げるものから選ばない
 

だから、「自分の持っている素晴らしいもの」「他の人が交換したがるもの」に、自分自身でたくさん気づいて欲しい
 

そして一つでも多く身につけられるように、努力をしてほしい
 

それができれば、人生において欲しいものをドンドン手に入れることが出来るようになる
 

これから高校、大学と過ごし、就職活動を経て社会に出ることになる
 

でもいわゆる普通の学生が抱く価値観からではなく、自分が持っているものの中で、会社や社会の人が欲しがるものが、「時間」や「お金」しかないのかをよく考えてみてほしい
 

絶対にそれだけではない
 

例えば、笑顔や、態度、挨拶だって物々交換の対象になる

※与える人が成功する

忘れないでほしいことは、必ず自分には他の人が欲しがる魅力が沢山あることを
 

そしてそれを自分自身で沢山見つけて、磨いて、出し惜しみなく周囲の人に提供してほしい
 

そうすることで、きっと思ってもみない、様々なものが手に入る未来が近づいてくる
 

どうだったかな?
 

世の中人や社会、時代に欲しがられる、自分の魅力をたくさん磨きに磨いて、いっぱい物々交換して幸せな人生にしてほしいと思います
 

いつも一花が素敵な女性に成長している姿を見せてもらい、そのお返しにこのブログを書いている物々交換好きなパパより
 

一花は自分でやらないといけないことを、自分で決めているかな?
 

ということで、今回は「やらなきゃいけない最低限を超えろ」というテーマで話します
 

やらなきゃいけないことを自分で決める


みんな小さい頃のやらなきゃいけないことは、自分以外の誰かが決めていた
 

例えば、「歯磨き」
 

それは大人になるまでに虫歯のない綺麗な歯でいさせてあげたいという親の想いから、毎日歯磨きをしなければいけなくなった
 

でも中・高生ぐらいからは、自分のやらなきゃいけないことは自分で決めていかなければいけない
 

もし大人になって、歯が虫歯でひどいことになってもかまわないと自分が思うのなら、
 

毎日のやらなければいけないリストから、「歯磨き」を消してもかまわない
 

それは、勉強も同じ
 

勉強をしないって自分で決めてもいい
 

歯磨きと一緒で、その大切さをしっかり理解した上で、それでもいらないと自分で判断するならやめてもいい
 

それは、自分の人生だから
 

そして、勉強をやめることで起こることも全て自己責任
 

でも、勉強をやめるということが、自分の将来にどういう意味を持つのかということを、わからないままやめてしまうのは非常に危険なこと
 

よく「勉強しないと将来困るのはあなたよ」って言われる



だけど勉強というのは、しなくても実は自分は困らない
 

困るのは、将来自分の周りにいる、自分の大切な人達
 

勉強によって手に入れられるだろう、知識や経験、行動力は自分の大切な人達を守るための道具になる
 

その道具が足りないと、自分の大切な人を守るのも難しくなる
 

でも勉強によって手に入れられるものが、何かはわからない
 

自分の大切な人達を守れるものかどうかは、自分で経験して学ばないとわからない
 

その上で、それが自分の人生でいるか、いらないかを判断する
 

それを経験してみないと、本当に捨てていいものかどうかがわからない
 

じゃあ、どうやったら手に入るものが、何かがわかるようになるのか?
 

最低限を超えないことの損失


それは、一つしかない
 

やらなきゃいけない最低限を超える
 

どういうことかを簡単にイメージすると
 

学校で出された宿題に対し、宿題以上の範囲をやって提出するということ
 

こう言うと、それ以上やる必要がないことをやるなんて、時間と労力の無駄だと思うかもしれない
 

でもその考えは、まったくの逆!!
 

やらなきゃいけない最低限を超えないことは、ものすごく損をしている
 

例えば、さっき話したとおり余計に宿題をやって提出したとすると、受け取った先生はどんな反応すると思う??
 

きっと、驚いてすごく褒めてくれるよね
 

なんだったら、クラスのみんなの前で褒めてくれるかもしれない
 

そして実は自分では気づかないうちに、最低限を超えていることは沢山ある
 

例えば早起き
 

早起きすることによって、朝食をゆっくり食べられたり、通学のバスが空いていたり、誰もいない教室で落ち着いて準備出来たり
 

心当たりあるよね
 

そう、必要最低限を超えたところに「楽しさ」や「気持ちよさ」みたいなことがある
 

その「楽しさ」や、「気持ちよさ」は決して偶然じゃない
 

やらなきゃいけない最低限を超えたとき、それをしなければ得られなかった楽しさがある
 

どんなことでも、やらなきゃいけないことを超えたところから楽しくなる
 

勉強がつまらなく感じるなら、それはきっと最低限を超えていないから
 

だからそれを超えないのは損している
 

それを超えたところに、人生にとって大切なことも全部ある
 

勘違いしてほしくないのは、だから勉強しろと言っているわけではない
 

むしろ反対で、やらなきゃいけない最低限を超えない勉強をだらだらしても意味はないということ
 

そんな勉強を何時間続けても自分の人生の財産にはならない
 

それは誰かに叱られたくないことだけが目的になっているけど、そのために人生の大半の時間を使うのはもったいない
 

勉強=投資ではない


よく時間は、消費、浪費、投資に分類される

※時間という財産を投資する

※時間という財産を、「頭」を鍛えるために使う

※時間という財産を、「心」を鍛えるために使う
 

消費は、生活する上でどうしても必要なもののために使うこと
 

浪費は、なくてもいいものなのに使ってしまう、いわゆる無駄遣い
 

投資は、今のためじゃなく未来の自分の為になるように使うこと

※成功する人生の投資
 

ここで多くの人が勘違いするのは、勉強=投資だと思っていること
 

勉強が全て投資になるとはかぎらない
 

もっと言うと、消費か浪費か投資かは、何をするかによって決まるものではない
 

場合によっては、勉強をしている時間そのものが時間の浪費なっていることもある
 

それを決めるのは「何をするのか」ではなく、「どうやるか」でしかない
 

少し考えてみると、世の中のほとんどの人が小中高と12年間も学校に通って勉強する
 

勉強している時間が投資になるのなら、ほとんどの人が、将来手にするものが素晴らしいものになっているはず

※時間という財産を、「頭」を鍛えるために使う
 

でも、みんな同じ時間だけ勉強したにもかかわらず、将来手にするものがまったく違う
 

つまり勉強していたその時間が、浪費になっていた人もいれば、投資になっていた人もいるということ
 

だから同じ勉強をするなら「投資」になるようなやり方をした方がいい
 

では、どんなやり方をしたら、投資になるのか?
 

それはもう伝えているよね
 

そう「必要最低限を超える」こと
 

おそらくこれからも勉強することになると思うけど、どうせやるなら時間を無駄に使うような勉強のやり方をしていては、実にもったいなく、とても損をしている
 

これは勉強だけじゃない
 

何をやろうとするときも、必要最低限を超えようした時間だけが投資になる
 

つまりその時間が将来の財産になるということを、覚えていてほしい
 

そして、その必要最低限の超え方は、何も量や時間だけのものでもない
 

質でも超えられる
 

例えば、丁寧にやる
 

それは逆に時間がもったいないと思うかもしれないけど
 

目的は、全て早く沢山終わらせることが目的ではなく、その時間が将来のための投資になっているかが大事

※時間という財産を、「心」を鍛えるために使う
 

だから早く終わらせても、それが自分の財産になっていないのなら、やっていないのとあまり変わらない
 

「どうせやるなら!」と考えることがとても大事
 

やらなきゃいけないことを、量や時間だけで超えようとすると、それをこなすまでの時間が消費なってしまうこともある
 

質的にも必要最低限を超えようとすることで、その時間を全て投資にすることができる
 

そしてその全てが将来の自分の財産になるということを、忘れないでいてほしい
 

どう?色々超えたくなってきたでしょ?
 

いつも一花の期待を超えてやろうと、誰にも頼まれてもいないことを超えようと努力して空回りしているパパより
 

一花には逃げ出したい時とかあるかな?
 

例えば勉強が大変な時とかかな?
 

ということで今回は「逃げない強さ」というテーマで話します
 

パパが学生の頃「真面目に勉強する奴はかっこ悪い」という価値観があった
 

自分も自分のまわりも同じ価値観の友達が多かったから、それが普通だと思っていた頃があった
 

だけど高校受験をする時に、「このままだと人生が狂ってしまう」と思うようになって、割と一生懸命勉強した
 

でも周りは「今さら真面目に勉強するの?」とか、「まあそのうち本気だすわ!本気出したらすぐ追いつくから」とか言ってた
 

あまり気にしてはいなかったけど、たぶん絶対やらないだろうなと思ってた
 

だって、やらないといけないことからすぐ逃げる人ほど、本気出したらヤバいみたいなことを言いがちだから
 

逃げない人


じゃあ逃げない人というのは、どういう人か?
 

逃げない人というのは
 

2つあると思ってる
 

まずは、ある状況において、自分が理想としている行動をとれる強さを持った人
 

もう一つは、やらなければいけないことを、きちんと向き合って実施できる人
 

勘違いしてはいけないのは、何がでもかんでも、逃げちゃ駄目ということではない
 

例えば、一人で家にいる時に、急に家が崩れてきたらどうする?
 

すぐに逃げるよね
 

でも、すぐ逃げるから駄目って思わないよね
 

そういうのは逃げるとは言わない
 

むしろ無理して家を支えるような行動が賢い選択ではない
 

逃げないと駄目な時もある
 

でも家が崩れかかっている時に、2階でそれに気づかずに寝ているママがいたらどうする?
 

逃げる前に、ママを助けに行くかな?
 

これが、その状況において自分が理想としている行動をとれる強さを持った人
 

そしてもうひとつは、自分がやらなきゃいけないことから逃げない強さを持っている人
 

やらなきゃいけないことから逃げる人は、往々にして夢からも逃げる
 

当然、自分の夢からも逃げるので、幸せになることにも程遠い
 

全て自分の責任


では、逃げない人になるにはどうすればいいか?
 

それはまず、「どんなことも人のせいにしない」
 

全て自分の責任だと思うこと
 

例えば、何も心当たりもなく一切悪いことしていない時に、ある友達から嫌がらせをされたとする
 

そんな時でも、どちらが悪い、誰が悪いなどとは考えない
 

人のせいにしても、状況は良くならないから
 

それよりも、「全て自分の責任」という考え方が、最も早く幸せになれる
 

つまり相手を変えようとするのではなく、自分を変えて、その状況を何とかしようと考える
 

それには、人のせいだと思わない未来を想像すること
 

自分が考える、強い人、逃げない人になれた未来を想像してみる
 

そしてこれから、想像したとおりになるとする
 

想像したとおりになれば、それは誰のおかげか?を考えてみる
 

それはもちろん頑張った自分
 

それは間違いでなない
 

でももし嫌がらせをする人がいなかったら、そうなろうと思わなかったんじゃない?
 

そうだよね
 

ということは、嫌がらせをしてきた友達のおかげ
 

自分の人生において、そういうキッカケをもらうために、嫌がらせをされたってこと
 

誰かのせいだと思わない未来を想像するっていうのは、
 

○○さん(くん)のおかげで、今の自分になれたと
 

あんな出来事があったから、今の自分になれたと
 

そう思える未来が来るのを想像するということ
 

最初はすごく難しい考え方かもしれない
 

でもいつかそういう日が必ず来る
 

兎に角、自分を取り巻く状況は、自分が変わることで、変えることができる
 

そういう現実が実際にあることに、ちゃんと目を向けることが大事
 

これは大人でも出来ない人がとても多い
 

自分に起こるあらゆる不幸を、自分ではない誰かや、何かのせいにして生きている人が沢山いる
 

あいつのせいで、親のせいで、上司のせいで、会社のせいで、社会のせいで、時代のせいで、国のせいで…
 

自分が今こんなに苦しいのは、自分ではない誰かのせいだと考えて、日々それに対して愚痴ったり他人や状況を変えることに必死になっている
 

でもそれでは、これっぽっちも幸せに近づけない
 

むしろ文句や八つ当たりは増える一方で、どんどん不幸になる
 

自分の人生がそうならないようにするためには
 

まずは「全て自分の責任」と思うところから訓練する
 

それは、出会った人や、起きた事のおかげで、今よりも強くなれた未来を想像して、実際にそうなるということ
 

勉強を利用する

 

そして「全て自分の責任」ということが理解出来たら、
 

逃げない強さを身につけるための一つとして、まずは「勉強」というツールを使って逃げないことを学ぶようにする
 

よく「勉強しないと将来困るよ」と言われることがある
 

でもそれは間違いで、勉強してもしなくても人生には色んなことが起こる
 

ときには逃げ場がなく追いつめられるようなこともあるし、逆境に陥ることもある
 

自分ばかり不幸な出来事が続くことだってある
 

だけどそんな時に、たじろいで勇気をなくしたり、心が折れてしまったり、絶望して明るい未来を夢見ることが出来なくなってしまったら、それこそ生きていく気力すらなくなってしまう
 

そういう時こそ、心を強く持たなければ、幸せには決してなれない
 

そういう時に心が負けず、どんなときも心を強く、明るく、美しく保っていられる大人になるために、勉強はある
 

それは、どれだけ勉強が出来て、いい成績をとって、いい高校や大学に進学することではなく
 

人生で「窮する」ことがあった瞬間に、「臆病になり動けない人」にならないように勉強を使う
 

本来、勉強というのは、良い高校や大学に入る為や、出世したり、高い地位を得るためのものではない
 

勉強の本来の役割は
 

世の中の役にたてる立派な人、世の中の人に尊敬される人格者になる為にある



そして人生というのは、嬉しいことや、楽しいこと、苦しいこと、辛いこと、どちらかだけがやってくるというワケではない
 

その人生の法則を理解して、何かあるたびに心があっち行ったり、こっち行ったりしないようにする
 

その為に勉強を使う
 

だから、逃げない強さを身につけるためには、まずは勉強から逃げない人にならなければいけない
 

逆に言うと、勉強するということは、逃げない強さを身につけるということになるんだ
 

ここまででどうだったかな、少しは勉強への意識が変わったかな?
 

少しでも、勉強に前向きな価値観が加われば嬉しいです
 


やらなくても別に誰にも怒られないんだけど、少しでも一花の為になるよう、本を沢山読み、逃げずにこのブログを書き続けているパパより

一花は、今日も寒いからと言って、ママに駅まで送ってもらってたね(笑)
 

というわけで、今回は「大切な一日を人に期待しないで過ごす」というテーマで話します
 

自分の楽しいは、他人を傷つけている


まずここでひとつ質問します
 

人は、なぜ人を傷つけておいて平気な顔をしていられるのか?
 

これはテレビの中でもよく行われていて、
 

そのベースには「自分が楽しいなら、他人が傷ついても平気」と無意識に考えている
 

嫌いな人間の失敗を喜んだり、過ちを犯した人達をみんなでとことん追い詰める
 

それを見る人達も「ざまあみろ」「もっとやれ」って感じて見ている
 

それはみんな自分が喜ぶこと、自分の怒りをぶつけること、自分が楽しいことが大事だから
 

そう、みんな自分だけが大事…
 

他人事のように聞こえるかもしれないけど、実際には自分も同じ
 

自分の楽しいために、誰かを悲しませる嘘をついても平気でいる
 

例えば、親は帰りが遅いと心配して家で待っているのに、本当は遊んでいるにもかかわらず、友達と勉強してると嘘をついて、夜遅くまで帰ってこないとか…
 

これとまったく同じとはかぎらないけど、同じようなことが自分でも思い当たることはないかい?
 

これまでの生活の中で、他の人を馬鹿にして、心の底から笑っていたり、人の失敗を喜んだり
 

それどころか、嘘をついてまで、自分の「楽しい」を優先させたり
 

自分さえ楽しければ、他の人の感情なんてどうでもいいと思っていたり
 

ここで改めて振り返ってみないといけないのは
 

これまでの自分の「楽しい」は誰かの犠牲の上でなりたっていたのかもしれないということ
 

自分の「楽しい」の陰に隠れて、「嫌な思い」をしていた人が、知らないうちにたくさんいたかもしれないということを
 

これは、「哀しみ」を学んでいないからであり、「哀しみ」を知らないから
 

哀しみは、生きていく中で経験して学ぶものだから、また追々このブログでも少しづつ伝えられたと思っています
 

ということだけど、ここではまず自分の「楽しみ」が誰かの「哀しみ」になっていないかを振りかえってみてほしい
 

人に期待しない


またここで質問です
 

他の人が自分の気持ちをわかろうとしてくれなくて、たまらなくイライラするときってあるよね?
 

こういう時、どうすればいいと思う?
 

それは「最初から期待しない」
 

ちょっと何言っているのかわからないかもしれないけど、
 

「今日一日誰かに頼らず、期待もせず、自分で良い一日にすると覚悟を決める」ということ
 

多くの人は、自分では気づいていないうちに、会う人会う人に、色んなことを期待している
 

実は、怒りっぽい人や、イライラしている人ほど、誰かに頼って生きている
 

例えば、自分が急いでお店で買い物をしないといけない時に、並んだレジの一番先頭がお婆さんで、ポイントカードを探すために財布を調べていたりしている
 

なかなか見つからなくて、今度は別のカバンからポーチから、何やらを取り出してカードを探す
 

やっと見つかったと思ったら、今度は小銭をキチンと払おうとしたりして、小銭を一枚一枚取り出し始める
 

どう?こんなことがあったら、イライラする?
 

でも、このようなことでイライラしているのは、相手に期待している人だけ
 

そう、「期待」してしまっている
 

並んでいる時にあらかじめカードを用意しておくことや、小銭を取り出しやすいように準備していること、もっと言うと自分の列の方が早く流れることを、目の前のお婆さんにも、レジ係の人にも勝手に期待している
 

その期待が裏切られるから、イライラしてしまう
 

でも最初から、何も期待していなければイライラすることも、怒ることもない
 

そんな人がいるのかと思うかもしれないけど、実際にはいる
 

誰かに会った時に、相手に何をどこまで期待するかは一人ひとり違う
 

知っている人から、知らない人に至るまで、あらゆる人に「こうしてくれ」という期待の度合いは、人によって違う
 

その考えのベースになっているのは、「自分ならこうする」という考え
 

それが無意識のうちに「その通りに動け」という相手への期待になる
 

そういう人は、朝起きたら親にイライラして、通学中の電車で同じ車両の乗客にイライラして、学校では先生や、友達にもイライラして、帰宅時も同じように色んなことにイライラして、一日を生きる
 

これが「自分の幸せを、出会うすべての人に頼って生きている行為」だと気づかずに
 

でも、一方で人に期待する度合いが低い人もいる
 

その人たちは幸せな一日一日を過ごしている人達だ
 

その人たちは家族だろうが、見知らぬ人だろうが、周りの人が自分の期待どおりに動いてくれないからといって、イライラしたり、怒ったりはしない
 

自分の大切な一日の幸せは、誰かに頼って作りだすものではなく、誰にも頼らず自分で創り出すものだということを知っているから
 

無意識に人に期待して生きている人は、自分以外の人が自分の望みどおりの行動をとってくれて初めて「良い一日」となる
 

それは自分の大切な一日が、良い日か悪い日かを自分によってではなく、周囲の人によって決められている
 

いくら期待しても、残念ながら人は自分の期待に関係なく、その人の意志で動くもの
 

だから、「最初から期待しない
 

すこし、希望のない言葉にも感じるかもしれないけど
 

今日という日を良い日にするために、誰かに期待せずに過ごしてみると、案外難しくないことに気づく
 

そして、逆に期待していないと、案外、周囲の人はいい人が多いことにも気づく
 

どうかな?
 

自分が誰かに期待して、それに頼って生きているなんて、考えたこともなかったと思うけど、
 

この価値観に触れただけでも、きっと良い一日を過ごせると思う
 

 

どうやら、一花に過剰に期待と頼られ過ぎているように思える パパより