井伊直政、本多忠勝、榊原康政、酒井忠次を徳川四天王と言います。

 

酒井忠次は家康の叔父で年長者でしたので、大久保忠世が入るときもあります。

 

忠世は15歳で初陣を飾り、三河一向一揆にも参加します。家康に仕え、各地を転戦

して活躍します。

息子の忠隣は小田原城に抜擢されます。

忠世の弟忠佐は武蔵羽生二万石をもらいます。

 

徳川譜代の中では大久保家は井伊家に次いで重用されました。

 

ちなみに、『三河物語』で有名な作者大久保忠教は弟です。

 

大久保一門で幕府の金山奉行の大久保長安に不正会計疑惑があり、連座するかたちで失脚します。

ここには政敵本多正信の謀略もありました。

 

 

 


松平忠吉は徳川家康の4男として生まれます。


秀忠の同母弟です。十八松平の一つ東条松平を継ぎます。忠康と名乗りますが、秀吉から偏諱を受けて改名したと言われています。


清須57万石の大名でもし忠吉が長命であれば、江戸幕府の副将軍になっていたでしょう。