歴史書というより経済小説という感じで読みやすいです。

本書は、江戸の三大改革がメインになっています。

米将軍と呼ばれた徳川吉宗は、口頭諮問や目安箱で役人の能力をはか

りました。

口頭諮問では、部下がそれぞれ担当している分野に精通しているかを

諮問して見極めたそうです。

改革の旗手で、仕事に厳しいトップは、いまの橋本市長でしょうか?

寛政の改革を主導したのが孫に当たる松平定信です。11代将軍になる

可能性があったのに老中田沼意次の謀略によって候補から外されました。
定信は田沼を恨み、田沼政治を批判したと言われています。

著者は意外な一面を書いてらっしゃいます。
田沼が手懸けた北海道の開拓を定信が進めたことです
エレキテルで有名な平賀源内を高松藩から引き抜いて、幕府政治に関

与させたことや、平賀が植物学者であったことを知りました。

読みやすくて、楽しい本です。

 

☆ この記事は 2013年1月26日に書いていますが加筆修正しています。

 
徳川家康のそばには常に譜代の家臣団がいました。幼少期に今川義元の庇護下で駿府で過ごしますが、ともに過ごしたのが石川数正、鳥居元忠や、平岩親吉でした。 
 
戦になると家康の身代わりになって死ぬ部下が大勢いました。
 
三方が原の戦いで身代わりになった夏目広次、本多忠真がその代表格でした。
 
関ヶ原の戦いで伏見で討ち死にした鳥居元忠などです。
 
鳥居元忠は身代わりではないですが、石田三成の大軍に城を包囲されたら最初か
ら命は助からない戦いでした。
 
織田信長や豊臣秀吉の部下が身代りになったことはあまり聞きません。

信長も秀吉も急速に大身になったので、
そこまでの窮地に陥ったことがないのかもしれません。
 
いずれにしても、家康の家臣団は主君のために命を投げ出してもおし惜しくないと思っていたのです。
 
信長に付き従うのは苦労の連続でしたでしょう。
いくら手柄を立てても、ちょっとしたことで佐久間信盛親子のように追放されました。
 
秀吉も関白職を譲り、後継者とした、甥秀次をその妻子ともども処刑しています。
 
こういう例を多数見てきた織田家臣団からすると、家康は人として安心付き合えた。
 
主人の家康は自分たちの話を聞いてくれるから、意見を言えたと言えるでしょう。
 

 

武田四天王の山県正景は、譜代の飯富出身ですが兄の虎昌が信玄の息子

義信の守役でした。

 

今川義元没後の駿河領有を巡り、信玄と息子の義信の見解が分かれます。


義信は父を追放しようと計画を進めますが発覚し、守役の飯富虎昌は処刑されます。


昌景は兄が加担した事件とは関係ないと判断されて、信玄の命により甲斐の名家、山県の名跡を継ぎます🍀