ソグド人はアケメネス朝の支配下にあった頃より交易に従事した。マケドニア王国のアレクサンドロス3世の征服や、その後のグレコ・バクトリア王国支配下においても交易を続けた[3]。クシャーナ朝、エフタル、突厥と、たびたび遊牧国家の支配を受け、その都度支配者が変遷したが、ソグド人は独自の文化を維持した[4]。ソグド語とソグド文字を使い、宗教的にはゾロアスター教を信仰したほか、2世紀から3世紀にかけては中国に仏教を伝えた。6世紀から7世紀にはマニ教とキリスト教のネストリウス派を中国やテュルク人に伝え、東方のイラン系精神文化も中国にもたらした[3]。活動範囲は東ロー唐の長安にまで及んだが、イスラム勢力の台頭によりイスラム化が進み、12世紀にはその民族的特色は失われた。ソグディアナはウズベク人の南下によるテュルク化が進んでいき、中国では漢人の文化に同化していった。
ラクダを引くソクド人の姿とされる。
彫りは深い。
古代ユーラシアでは多くの国が覇権争いを繰り広げた。
ソクド人は国を持たず、東は中国沿岸部から現在のイスタンブールまで、絹などを交易して歩いた。
遊牧民族である突厥は独自の文字を持たなかったが国が大きくなるにつれ、文書を発行して命令を伝達させる必要が生じる。
ソクド人が活躍し、ソクド文字で文書を発行する。
中国では、武将になったソクド人もいる。
安史の乱で有名な安禄山で、父がソクド人、母は突厥人。
楊貴妃はソクドの踊りが得意だったようです。
ソクド人は、11世紀には歴史上から姿を消しますが、西のソクドらペルシア、東はトルコにそれぞれ同化しています。


