『2番に強打者を』野球の話今年(2020年)のプロ野球は2番打者に強打者を置くチームが増えましたね。西武は不振の森を2番に置きました。森は捕手ながら昨年、首位打者を取りましたのでマークされてますね。昨日の試合からクリンアップに戻っています。広島カープは、復調の堂林が2番に入ったり、阪神タイガースは糸井が何試合か2番を打ってます。近年は強打者を2番に置いてチャンスを広げようとするチームが増えましたね。以前のバント等が得意なシブイ2番打者のイメージが変わりましたね。
”『徳川家康と幼なじみ。 北条氏規その2』フムフム歴史”この記事も最近、よく読まれています。読んで頂いた方ありがとうございます。北条の立ち回りしだいでは、北条氏規は、毛利の重鎮『小早川隆景』に近い存在になっていた可能性があります。北条氏規は、『助五郎』と呼ばれました。今川義元の元で、元服していますので、北条一門より、今川一門として成長しました。今川のも『五郎』ですので、ブログに書いていますが、駿河で人質時代の徳川家康とも知り合いでした。豊臣秀吉の征伐により、小田原北条は滅びますが、生き残った北条氏規が、大阪の狭山に一万石の大名として、その血脈を残しています。
『2020年大河ドラマ麒麟がくる~明智光秀の半生』フムフム歴史【京都新聞20208月8日記事】 『光秀妻の戒名確認』尋子は光秀と同じ美濃出身と伝わり、越前で浪人生活を送っていた頃、自身の黒髪を売って資金を工面するなど、夫に尽くしたエピソードがあります。本能寺の変後(天正10年)に坂本城落城とともに亡くなったとする説があります。以前のブログで明智光秀の記事を書いています。『戦国の文化人明智光秀』<フムフム歴史>(2011年5月日記事)↓https://ameblo.jp/12001921/entry-10966610192.html