宇佐山八幡宮は近江神宮の近くにあります。
歩いて 15分ほどの山頂にあります。
 
戦国時代、宇佐山城がありました。
織田信長が家来の森可成に命じて築きました。
安土城より先に拠点として築かれました。
 
石垣によって築かれ、単なる山城ではなく、恒久性があったと言われています。
 
元亀元年(1570年)九月朝倉義景・浅井長政の連合軍が坂本へ押し寄せると、森可成は城を出て坂本で迎え撃ち討死します。連合軍は宇佐山城へ攻め寄せ放火したが、攻め落とすことはできなかった。

摂津から急ぎ京へ戻った織田信長は宇佐山城へ入り連合軍と対峙したが、膠着状態となり和議となっています。
 
 
 
 
 
 
 
 
比叡山焼き討ち時には、信長が宇佐山城に入城したようである。比叡山焼き討ちで功績をあげた明智光秀は坂本の地を与えられ、坂本城を築いて移ったため宇佐山城は廃城となったのではないかと考えられている。