大永3年(1523年)、知恩寺25世慶秀と知恩院25世存牛との間で本寺争いとなったが知恩寺は敗れ、第一の座次を知恩院に譲ることとなった[1]。
天文5年(1536年)、天文法華の乱で焼失する。文禄元年(1592年)には豊臣秀吉の寺地替えにより土御門(寺町通り荒神口上る、現・梨木神社の近く)に移された[要出典]。江戸時代の寛文元年(1661年)に火事で焼失するが、寛文2年(1662年)第39世光譽萬霊上人によって現在地に移転し、2年後の寛文4年(1664年)に本堂の釈迦堂が建てられ再興された[1]。
宝暦6年(1756年)には48世震譽知巖が御影堂を一回り大きくし、総欅造りとして再築した。
なお、当寺は浄土宗の寺院であるが本堂は釈迦堂で本尊は釈迦如来であり、これまで阿弥陀堂はなかった。しかし、文化8年(1811年)になって初めて阿弥陀堂が建立された。
明治時代の神仏分離によって当寺は賀茂御祖神社の神宮寺の立場を離れた。


