徳川家康は子どもの頃、駿河の今川館で人質まして過ごします。

近年の研究では、家康を庇護し、成人した後は今川の客将として育成する予定でした。
義元の嫡男を、氏真と言います。

家康より4歳年上の今川氏真は兄弟のように育ちます。
 
桶狭間の戦い以後、今川は衰退、没落します。

武田氏滅亡後、駿河を得た家康は半国を氏真に任せれる予定でしたが
信長の許可が降りませんでした。
 
今川氏真はそのまま家康の当時の拠点、浜松に残ります。
 
天下人になった秀吉は家康に関東への国替え命令します。家康は駿府から江戸に拠点を移します。氏真は僧侶となり京都で過ごしますが引き続き、家康
の庇護を受けます。
 
晩年は家康の庇護を受けて今川家は、高家として江戸時代を生き
ます。