徳川家康の参謀として、支えた本多正信は日本版張良と言えなくもありません。


張良は、前漢を創業した三傑一人で、劉邦の軍師として、仕えました。


韓の豪族の家に生まれるもしんに祖国を滅ぼされた張良は秦の始皇帝暗殺計画を立てました。失敗し、諸国を放浪する中、劉邦に出会うのです。


前漢成立後は表舞台から姿を消し、仙人になったとも言われています。


本多正信は弥八郎と言い、鷹匠として帰参を許されます。


家康より3歳年上で馬があったと言われています。


三河一向一揆では家康を裏切り、一向一揆に味方し、鎮圧後は家康から三河を追放されます。その後は京都に潜伏したとも加賀の一向一揆に参加したとも言われています。


正信は槍働きではなく、明晰な頭脳で謀略家として家康に仕えました。


庇護された松永弾正からは、徳川家中は勇猛な者が多いが、本多正信だけは器が違うと言ったと言われています。

 

大阪の陣が終わり、天下太平はの世を見とどけた家康を追うように翌年亡くなります。