織田信長の家臣の誰もが織田家を守らなかったと言われています。
おそらく、家康が討ち取られていたら家臣団は家康の息子秀忠を守り、立ち上がったでしょう💠
安土の留守居の蒲生氏郷などは織田本国尾張、美濃に逃げ帰り、方面軍司令官の丹羽長秀や柴田勝家と連携するものはいませんでした。
織田家では信長の意向ですべて回っていました。
後に織田家から権力を簒奪して天下人になる秀吉も同等でした。
家康は滅ぼした武田家や小田原北条家のやり方を踏襲し、吸収していきます。
良いものは敵から学ぶ。戦場では敵対しても、政治的な施策や軍制で素晴らしいものは他国から学ぶという姿勢が家康にはありました。