桓武天皇は784年に長岡京794平安京に遷都します。

 

旧王朝の天武系から天智系統へと王朝交替説を採ったためです。

 

当時の京都は渡来人の里と言ってもよいぐらい渡来人が海を超えて渡ってきました。

新羅により、百済が滅亡した後は、特に百済系の人が京都に移りすみました。

 

秦の始皇帝の子孫を称する秦河勝の邸宅を御所にしたという説もあります。

秦河勝は聖徳太子に仕え、物部氏討伐に貢献します。秦氏は権力に近づきます。

 

京都には広隆寺や松尾大社、伏見稲荷など秦氏につながる寺社がたくさんあります。

当時の京都の3割が渡来人とも呼ばれています。

 

桓武天皇は百済永継を妻にします。百済長継は、藤原内麻呂との間に生まれた冬嗣

藤原道長の先祖になった人です。

 

和歌の名人僧正遍昭も桓武天皇の孫で血を引いています。