源頼朝が鎌倉を本拠としたかですが、その父義朝が坂東支配の拠点にしていました。
源頼朝の父義朝が平治の乱に破れ、鎌倉に逃亡する一行の中に上総広常はいました。
上総広常は8男でしたので、介八郎広常と呼ばれています。
頼朝の父義朝に付き従う武将でした。
頼朝は平家の将軍大場景親と石橋山の戦いに破れ、上総下総のに向かい、上総広常は
家臣となります。二万の大軍を率いる広常に対して、頼朝は遅参したことを咎めます。
広常は頼朝に対して武威を示すつもりがあり、自らの主君として見合わなければ、首をはねて平家に差し出すつもりでした。
頼朝の威光にひれ伏し、家臣になります。
同族でまた従兄弟の千葉常胤は、八幡太郎義家の末子義隆の忘形見頼隆を、貴種として大切に
育てていました☘️。