この冊子では足利尊氏の子孫が語られています。

足利家27代当主浩平氏は、足利尊氏の4男基氏を祖先とします。

戦時期に、足利尊氏は北朝を立てましたが、明治維新後は後醍醐天皇が開いた南朝を正統とする説が主流になりましたので、足利=悪役に祀り上げられます。

豊臣秀吉による小田原征伐


小田原征伐時に、豊臣秀吉は足利家(=鎌倉公方)が衰退するのを嘆き、保護します。喜連川氏と称して、安土桃山時代、江戸時代を生き延びた足利氏。

喜連川氏は豊臣秀吉の客分として扱われ、江戸時代でも同様でした。10万石の大名でしたが特権がありました。

江戸時代の喜連川氏



喜連川氏に参勤交代はなく、諸役軍役はなし。荒川などの堤防工事の負担もありませんでした。

江戸城での扱いは、御三家と同様の扱いでした。清和源氏嫡流の毛並みの良さが幸いしました。

幕末に、水戸徳川斉昭の11男縄氏が養子に入ります。同時に喜連川氏から足利に改姓します。