『御三家の筆頭になっていたかもしれない松平忠吉』の記事を加筆修正しました。

忠吉は、28歳で亡くなりますが長寿を保てば御三家の筆頭になり、副将軍になっていた可能性もあります🍀

関ヶ原の戦いで戦功があり、尾張57万石を与えられます。岳父の井伊直政が彦根に20万石を与えられましたので、忠吉は将来、徳川の柱石になることを期待されていたでしょう。

徳川の歴史も変わっていたでしょう。

初名は、『忠康』ですが、豊臣秀吉から『吉』の一字を貰ったという説があります。

人望も厚く、まわりから慕われていたようです。兄の将軍秀忠も弟の死を悼んだと言われています。