織田信忠は信長の長男です。
信忠の初名は菅九郎信重です。

武田家を滅亡させたのは信長ではなく、息子の信忠です。

あまり知られていませんが本能寺の変時点では信忠がすでに、織田家の家督を継承していました🍀

現代で言うと、『織田商事株式会社』は社長が信忠、会長は信長でした。権力は依然、信長が握っていましたが体面上は、信長は一線を引いていました。戦国においては今川義元や小田原北条氏康も引退して息子に家督を譲り、実験は握っていたのでよくあることです。息子に権限委譲しながら家中を収めていました。

信長は三男として生まれ、兄信広や弟信行(信勝)との相克のもと、家督を継承しましたので、自分の目が黒いうちに長男信忠に家督を譲り、次男以降は養子に出して家督争いを事前に避けました。

先ほど申し上げたように、本能寺の変時点で、『織田の棟梁』信忠は尾張、美濃を管轄する大名でもありました。

研究者や小説家が指摘していますが、本能寺の変で信忠が二条城から脱出して生き延びていれば、織田家の歴史は変わっていたでしょう💠。

信忠は京都を脱出して安土まで来て、四国攻めの準備をしていた信孝(信長3男)と合流して、弔い合戦をしていれば、明智光秀は討伐できていたでしょう🍀

豊臣秀吉は登場しなかったか、登場は遅れたでしょう。

【この記事は2020年7月18日、12月22日にアクセスありました。加筆修正をしています。】

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(2020年7月29日記事)

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