宇多天皇の子孫が近江の沙々貴神社と結び付き、発展します。

平氏の乱で、源義朝についた佐々木秀義は、伊豆に流されます。雌伏の時を得て、平家打倒に立ち上がった秀義には5人の息子がいました🍀。

秀義は平家との戦いで戦死しますが、一族で活躍して、全国17の守護に任命されます🌱。

幕府創設に尽力した佐々木氏ですが、3代目広綱が承久の乱で、後鳥羽上皇側につき、敗死します。

鎌倉幕府側についた弟の信綱が佐々木氏を継承します。

信綱の息子達が『大原』、『高島』、『六角(宗家)』、『京極』へと分家して、勢力を拡大していきます🍀

室町時代に、『婆娑羅大名』と名を馳せた佐々木道は、京極家のさらに分家であったと言われています。

戦国時代に織田信長に滅亡させられるまで、近江に根をはったのが佐々木氏です🍀

居城の観音寺城は現在の近江八幡市の安土にありました。

【この記事は2020年8月20日にアクセスがありました。加筆修正をしています。】